少し前のことなんですが、テンプル・グランディン氏の"動物感覚 −アニマル・マインドを読み解く"を読み終えました。
なかなか盛り沢山な内容で、充分には消化しきれてないんですが、備忘録代わりに感じたことを書き留めておきたいと思います。
この本は以前から気になりつつも手を出しそびれていたのですが、
"Making Animals Happy"が面白かったので、氏の考えをもっと知りたいと読み始めたものです。
自閉症(アスペルガー)であるグランディン氏は(言語によらない"視覚思考者"であるがゆえに)、多くの人間よりも"動物の認識"に近い感覚を持っておられるとのこと。ご自身の経験(学術研究や動物福祉に関わるコンサルタント業も含めて)や脳神経科学から動物行動学に至るさまざまな研究結果を引用しながら、動物が一般に考えられているよりもずっと魅力的な(賢い)存在であることを説いておられます。
"それでもイヌが好き"の記事で私は、"ザ・カルチャークラッシュ"の書籍中で再三述べられている "従来型の愛犬家達が思い込みたいほどには犬は賢くない"ことを受け入れる気持ちになったことを書きました。行動主義心理学に基づくドッグトレーナーさんの本ですが、基本に流れる "人間の勝手な思い込みで犬を不幸にするべきではない"という犬への愛情に共感したわけです。
ところが、"動物感覚"を読んで、"いや、やっぱり犬はもっと賢い"と考えても良さそうだと揺り戻されたという感じなのです。
自閉症のおかげで、動物に関して、ほとんどの専門家とちがった見方ができる。大勢のふつうの人びとと同じく、動物は私たちの思っている以上に賢い、という視点から見ることができるのだ。「フラッフィーって頭がいいのよ」などという飼い主や動物愛好家は世間にごまんといるのに、動物の研究者は買いかぶりだと考えて、たいてい無視してきた。
でも、私はそんなおばさんたちのいうとおりだとわかるようになった。動物好きな人や、動物と長い時間を過ごす人は、動物が見た目以上の存在であることを、しばしば直感するようになる。それがなんなのか、どう説明すればいいのか、わからないだけだ。(テンプル・グランディンら著「動物感覚 −アニマル・マインドを読み解く」p.17より引用)"それがなんなのか"説明しようというのが、この本の主旨と言えるでしょう。
前半では、動物の知覚が(多くの)人間のそれとどのように異なるかについても触れられています。人間の脳の特殊性は、新皮質とりわけ前頭葉の発達にあることは良く知られていますね。前頭葉(など)が入ってきた情報を強制的に加工(注意すべき情報以外をふるい落とすなど)して、(抽象化した)全体像を認識させ、状況を一般化した"概念"として"意識"させる働きをするようです。が、新皮質が未発達な動物達は、全体ではなく細部を知覚し、生の情報を処理する能力を維持しているとのこと。前頭葉のなんらかの問題と関係があるとされる自閉症の人達は、動物のそれに近い脳の働きを持っているようで、それゆえにグランディン氏は"動物がどんなふうに考えているかわかる"のだそうです。
犬に関しても多くのページが割かれていますが、"Making Animals Happy"(2009年出版)で述べられていることと共通している部分が多かったです。ジャーク・パンクセップ氏の基本的な情動システムを重視している点や、犬はオオカミのネオテニーと考えられる説も共通しています。ただ、2005年に出版された本書では、"飼い主は犬のアルファになるべき"といったスタンスを述べておられるので、この点については、数年の間に宗旨替え?をなさったようですね。
後半には、動物の認識や有能さに関する驚かされる研究結果がいくつも紹介されています。有名な道具を加工するカラスのことは知っていましたが、コン・スロバチコフ氏によるプレーリードッグの一種が名詞、動詞、形容詞をそなえた意思伝達システム(言語)を持っているという研究は興味深かったです。ボノボやイルカどころか、ネズミの仲間が"言語"を使うなんて!っていうのが正直な感想ですね。
もっと衝撃的だったのが、アイリーン・ペッパーバーグ氏のヨウム(オウムの一種)に関する長年の研究成果。ヨウムのアレックスは色や形のような抽象的なカテゴリーを認識し、それについて自分から質問をするようになったり、研究の先回りをして単語を構成する文字のつづりを学習していたそうです!
それまでの研究者は、"オペラント条件づけ"を用いて鳥に色などの"概念"を教えようとして失敗を続けていたそうですが、ペッパーバーグ氏は別の手法、"社会モデル理論"を応用した"手本/競争相手方式"を採用したことでアレックスの能力を発見できたとのこと。研究のアプローチ法(姿勢)に問題があったために、"動物にはこんなこともできない"という誤った結果を導いてきた可能性を示唆しておられます。
人間は(特に西洋/狩猟系文明においては)、人類と他の動物達との間になんとかして境界線を引こうとしてきたように思われます。道具を使えるのは人間だけだ、言語を使えるのは人間だけだ、抽象的な認識を持つのは人間だけだ... 学生時代(もう30年も前のことだと気付いて愕然としましたが)に感銘を受けた"ソロモンの指環"。コンラート・ローレンツ氏さえも(宗教的な規範に基づいてか)、人と動物を明確に分けて考えておられたような記憶があります(四半世紀ぶりに読み返してみよう!)。
しかし、いろんな研究の結果、人と動物の間に設置されていた"知能"の垣根は次々に取り去られてきたわけです。以前にも触れたことがありますが、かつて"進化"を研究していた私にとってはとても自然なことに思われます。こういった方向性は、多くの日本人(東洋/農耕系文明)のメンタリティーにも合うことかもしれませんね。 その一方で、"人間は動物の上に立つ存在"と考えてきた文化(国)の方が、動物福祉をより実践しているというのは皮肉なことですが...
脱線しました。話を元に戻しましょう。本文の最後は、人間と犬の共進化の話題で締めくくられています。人がオオカミを飼い馴らして犬にしただけでなく、原始人はオオカミから集団生活、社会構造、友情、なわばり意識...といったことを学んで現世人類になったという説(ごく簡単な紹介だけですが)。
この件はとてもエキサイティングなので、もう少し調べてみたいと思っています。書き留めておきたいことは他にもたくさんあるのですが、最後の文章を引用させていただいて終わりにしようと思います。興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてくださいね!
人間がドリトル先生のように動物と話ができるようになるのか、あるいは動物が返事をできるようになるのか、私にはわからない。いずれ、科学で解明されるだろう。
けれども、人間は、今よりもじょうずに、動物に「話しかけ」て、動物の言い分を聞けるようになるはずだ。動物と話ができる人はできない人よりも、たいていは幸せだ。人間もかつては動物だった。そして人間になったときに、なにかを捨てた。動物と友達になればそのいくらかでも取りもどせる。(テンプル・グランディンら著「動物感覚 −アニマル・マインドを読み解く」p.403より引用)
2011/03/05 追記:
アイリーン・ペパーバーグ氏著の"Alex & Me", "アレックスと私"に関する記事をこちらに書きました。
2011/03/21 追記:
アレックスの研究で用いられた"手本/競争相手方式"に関する記事をこちらに書きました。