2011年12月29日

ドナルドソン批判

このブログを始めてから既に2年弱、大量の駄文を書いてきました。
読み返してみると、なんか変なことを書いているなぁ...と感じるものも多いですが、この文章は書くべきじゃなかったと反省するものはほとんどありません。そう、たった一つを除いては...
ずっと気になっていて、きちんと今の考えを伝え直したいと思い続けてきたのは、それでもイヌが好きの記事です。

これを書いた当時は、ファルコとのトレーニングを再開しようとしていた時期でした。できるだけきちんとした教科書を探している中で読み始めた "ザ・カルチャークラッシュ"。学生時代からむしろ嫌いだったスキナー流の心理学に基づくものでしたが、自分を納得させるためにも、つい持ち上げた記事を書いてしまったのです。
その後、テンプル・グランディン氏の著作に出会った頃から、徐々に件の記事で書いた文章に後悔の念を覚え始めたことは 犬の愛に嘘はないの中でも記しました。

ストレートに書いてしまうと、今、私は"ザ・カルチャークラッシュ"のことを "犬の学習理論等がわかりやすく説明されている名著"だとも、"犬への愛情に満ちたトレーニングの入門書"だとも思っていません。たしかに犬の行動分析学的トレーニングのテクニックとしてはうまく纏まった書籍であることは間違いないと思います。しかし、犬という伴侶動物に対する基本的な認識の部分については、とても容認できないと感じています。

"アレックスと私"をきっかけに動物の社会的学習理論に触れ、犬と人の共進化の話題を考察してきたのは、ある意味、今回の記事を書くための下準備でもありました。
歯に衣着せぬ言い方をすれば、私はジーン・ドナルドソン氏の認識は時代遅れで浅はかなものであると考えています。それを客観的に示したいという思いもあって、"雑記帳"カテゴリに背伸びした記事を書き連ねてきたわけです。

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三ヶ月ほど前、一冊の本に出会いました。堀明氏の "犬は「しつけ」でバカになる"。パピーミルや幼体流通といった日本の犬に悪影響を及ぼしている要素の指摘と、"ザ・カルチャークラッシュ"に対する批判をテーマとした読みやすい本です。

タイトルの付け方にはちょっと気になるところがありますが、日本で最もトレーナーさん達に支持されている(ように思える)犬のトレーニング本の著者(そして SF SPCAでトレーナーのためのアカデミーを主催されているという非常に影響力が強い方)こそが、身勝手に犬を"バカ"だと決めつけているという強いアンチテーゼだと私は受け止めています。書籍中にも書かれていますが、 "しつけ"を全面的に否定されているわけではありません。
共感を覚えるところが多かったので、"犬の詩"という写真集も買ってみたのですが、"あとがきに代えて"の中では "犬が人間を『飼いならした』"という説にも触れられていました! "...バカになる"の方には、"動物感覚"を下敷きにしたと思われる記述も出てきますので、かなりの部分に渡って、私は堀氏と考え方(やその経緯)が共通しているようです。

私の回りくどい"雑記帳"なんかよりも、ずっとわかりやすい文章で最新の科学的成果等を紹介しつつ、"ザ・カルチャークラッシュ"の問題点を指摘しておられますので、興味を持たれた方は読んでみてくださいね。
"「しつけ本」にだまされるな!"という章の最後に書かれている文章をちょっとだけ引用させていただきますね。この部分はほぼ100%同感です。

ドナルドソンは、「(人は)イヌの思考力を過大評価するあまり、イヌにありとあらゆる罰を加えている」と言っています。その通りです。確かに、一部の人たちは、イヌは善悪の判断ができるのに人間に反抗していると見なして、イヌを虐待してきました。しかしイヌにはどうせ考える力がないと「過小評価」し、ありとあらゆる罰を与えてきた人たちがいるのも、また事実なのです。
イヌの感情の豊かさとありのままの知性を認めてこそ、伴侶動物としてのイヌをリスペクトできるのです。
(堀明著「犬は「しつけ」でバカになる」 p.188より引用)

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<12/26の朝、うっすらと雪化粧が見られました>

私は モデル/ライバル法の記事では、"かの本が出版されたのは1996年ですから、犬(を含む動物一般?)の社会的学習についての一般常識としてはそういったスタンスになるのも仕方なかったのかもしれません。"と、好意的な解釈をしていました。

その後、本国では 2005年に改訂第二版が出ていることを知り、動物の観察学習が一般的に知られるようになってからならドナルドソン氏も考えを改めておられるかもしれないと、2nd Ed.を購入してチェックしてみたのですが... "イヌ本来の性質"として挙げられている10項目のうちの荒唐無稽ないくつかも、全くそのままの英語でした。

以下の一文だけでも明白な、傲慢で、非科学的な(誤った&偏向した)認識に関しては何も変わっておられないようです。
イヌの学習過程については、今や分からないことは何一つないといってよい。
(ジーン・ドナルドソン著「ザ・カルチャークラッシュ」 p.192より引用)

日本語版(1996年の第一版を訳したもの)の第一章"イヌの身になって分かること -イヌの知性と道徳心"の中には、書名が書かれないものの暗に批判されている書籍が2冊出てきます。

後(p.16)に出てくる "最近も250ページ以上にわたってイヌの知性を論じた本が出版されたばかりだが..."という方は、2nd Ed.では Stanley Coren氏の "The Intelligence of Dogs"(日本語版: "デキのいい犬、わるい犬")であることが明記されていました。改訂版で追記された可能性もありますが、訳者/監修者か出版社が差し障りを恐れて割愛されたようにも思えます。

冒頭(p.10)の "1990年代にイヌの「道徳律」なるものを論じた本が出版され、ベストセラーになったことがある"という方は明記されないままですが、文脈を読むと、Elizabeth M. Thomas氏の "The Hidden Life of Dogs"(日本語版: "犬たちの隠された生活")の可能性が高いのではないかと私は考えています。

つまり、ドナルドソン氏はこういった著書を知りながら、あえて"イヌの知性と道徳心"、それに社会的学習等を切り捨てておられるようです。
デカルトの亡霊のようなスキナーの教えを妄信してのことかもしれませんが、こういうスタンスの方が"科学"を語られることには強い嫌悪感を抱きます。

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<12/27の朝、積雪量は 5mmほどしかありませんでした>

原書を調べてみると、日本語版では繕われていたドナルドソン氏の好戦的?な部分があらわになってきました。
それでもイヌが好きで、"気に入ったセンテンス"として引用した部分を再掲させていただきます。そして、2nd Ed.の英文(おそらく 1st Ed.と同文)も。

私たちは、イヌが深いしわが刻まれた人間並みの大きな頭脳と、人を喜ばせたいという本能を持っていると信じたがっている。ところが実際のイヌの脳は人間のものと比べればつるりとした小さなものにすぎず、しかもイヌは非常に自分勝手な生き物だ。それでも私はそんなイヌが好きでたまらない。
(ジーン・ドナルドソン著「ザ・カルチャークラッシュ」 p.192より引用)

We've been clinging to the wish that dogs just might have big, convoluted melon brains like humans, and have a natural desire to please. The fact of the matter is dogs have little, smoothish lemon brains and are looking out for number one. I personally still like them.
(Jean Donaldson著「The Culture Clash (2nd Ed.)」 p.121より引用)

これは第5章 "ピーマン頭でもイヌは素敵" / "LEMON BRAINS BUT WE STILL LOVE THEM"中の文章ですが、まず章のタイトルに驚きます。
私は英語が得意な方ではありませんが、米語において"Lemon"が非常に否定的な(侮蔑的な)ニュアンスを持っていることくらいは知っています。日本語訳では"ピーマン頭"(と"からっぽの頭")と少し柔らかい(愛着も感じさせる)言葉だったわけですが、"Lemon Brain"だけを見てネイティブの方が感じるのは "出来損ないの頭"とか"腐った脳みそ"というイメージではないでしょうか?
もっとも、皺の多い人間の脳をメロンに喩えて、それとの比較で(大きさもほぼ合っているので)レモンと表現されている箇所もあるにはあるのですが、ゴマカシっぽい感じが否めません。単純に犬はバカだという意味で "Lemon"を使っておられる箇所も複数ありますので、罵りに近いニュアンスを込めて使っておられるのでしょう。

もう一点指摘しておかなくては気が済まない箇所があります。
先の記事のタイトルにまで使ってしまった "それでも私はそんなイヌが好きでたまらない"。その原文は "I personally still like them."です。日本語訳で醸し出されている愛着は伝わってきませんよね! 忠実に訳すなら "...第一位の存在の様子伺いをしているだけだ。それでも私自身は彼らのことが好きなのだ。" くらいじゃないでしょうか?
文学的には名訳でしょうが、この原文を知っていたら私は "救われたような、肩の荷が下りたような気"にはならなかったはずです。

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<12/26の朝、この程度の雪化粧じゃ、ファルもナットもいつも通り>

もう一カ所、訳者/監修者の意図が垣間見える文章を紹介します。

愛犬たちが一見私に従順にみえるのは、私がフリスビーを投げてやり、ドッグフードの缶を開けてやるからである。愛情がないということではない。飼い犬たちに対する私の愛情は本物である。ヒトと動物の絆は絶対に存在する。愛犬たちも私のことを愛してくれているはずだ。しかし私のことを尊敬しているわけではないだろう。そもそもイヌに尊敬という概念があるかどうかも疑わしい。また飼い主を愛しているからといって、イヌが必ず飼い主の言うことをきくわけでもない。愛情とトレーニングは別物である。
(ジーン・ドナルドソン著「ザ・カルチャークラッシュ」 p.23より引用)

They appear devoted to me because I throw a mean Frisbee and have opposable thumbs that open cans. Not to say we don't have a bond. We are both bonding species. But they don't worship me. I'm not sure they have a concept of worship. Their love is also not grounds for doing whatever I say. It is, in fact, irrelevant to training.
(Jean Donaldson著「The Culture Clash (2nd Ed.)」 p.17より引用)

普通なら "絆を持たないわけではない。われわれは互いに気持ちが繋がり合っている。"くらいになる部分がどう訳されているかご覧ください。
"愛"に直接訳すべき単語が一つもないところに、"愛情"と"愛"が4つも出現しています! 日本人(の愛犬家)のメンタリティに合わせて、ドナルドソン氏のイメージを良く見せるために行き過ぎた加工が施されていると感じるのは私だけではないでしょう。

調べてみると更にガッカリする?ことがわかりました。2nd Ed.の原文では、 "We love dogs"というような我々(人間)を主語にした場合(と犬を主語にした際)には "Love"の単語があちこちで使われているのですが、"I"(ドナルドソン氏)が主語の場合には "Like"が複数用いられているだけで、"Love"はたったの一カ所でさえ使われていないのです。
"ザ・カルチャークラッシュ"を読んだ際に感じた、"偏った考えに基づくけど、こんなに犬を愛しておられる方なのだから..."といった免罪符のような"愛情"は、訳者/監修者によって捏造されていたのかもしれないというのが私の今の捉え方です。

私自身は、ひょっとしたらドッグスポーツ(や単純なトリック)等のトレーニングは愛情と切り離しても成立するかもしれないとも思いますが、家庭犬のしつけや問題行動の矯正に関しては、愛情に基づいた教え方が必須ではないかと考えています。受験のためのテクニックを教わる予備校なら別でしょうが、幼稚園や小学校の先生が "愛情がなくても教えられる"とおっしゃられたら、私はその教師を信頼しないと思うわけです。
もっとも、生粋のスキナリアンにこんな意見を言ったところで、人間と動物は違うという反論が返ってくるんでしょうけどね...

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<12/28の朝までわずかに残っていた雪も、夜にはすっかり消えていました>

ドナルドソンの本では、ディズニーを引き合いに出して擬人化を徹底的に否定しています(日本語版では"擬人化"という言葉そのものは使われていませんが、原書ではきっちり anthropomorphという単語が 4回使われています)。

いったいいつになったら世間は、イヌが人間を喜ばせたがっているはずなどあり得ないことに気付くのだろうか。これはとても愚かで、危険な考え方だ。私自身、飼い主の喜ぶ顔を見たがっているイヌに一度お目にかかりたいと思いながら、いまだにその願いを果たせずにいる。飼い主の気分の矛先が自分に向かうのでもない限り、その気持ちに関心を持つイヌなどいるわけがないのだ。そういうことを言うのは、相手の心情を理解できるイヌを見つけ出してからにしてほしい。
(ジーン・ドナルドソン著「ザ・カルチャークラッシュ」 p.18-19より引用)

この箇所では、訳者/監修者もオブラートに包みきれなかった(その必要を感じなかった?)ようですね。scienceという単語を 7回も使って "科学的なトレーニング"を強調している書籍では、これくらいのことを書いておいた方が "これが真実だったんだ!"と逆に信奉者が増えるという判断なのかもしれません。
実際に、ネットで検索してみると、日本では諸手を挙げて本書を賞賛する意見が圧倒的に多いわけですからねぇ...

擬人化については、続きの記事で(別の側面からも)私の見解を述べるつもりですが、本記事でも少しだけコメントしておきましょう。

ドナルドソン氏は、"相手の心情を理解できる"人に会われたことはないのでしょうか? "人"であれば当然あってしかるべきなのでしょうか?
他人が自身を"喜ばせたがっているはず"と認識する際、相手の心の中を調べて(いや失礼、徹底的行動主義では心や脳の中には興味はないんでした...)から、そうであると分析しておられるとは思えません。"喜ばせたがっているはず"という判断は、自分自身がそう感じられる(認知される)かどうかこそが基準になっているのではないでしょうか?

世の中には "めったに他人を信用しない/人間は見返りを求めた行動しかとらない"と考える方もいらっしゃると思います。ドナルドソン氏もそのお一人ならば何も言いますまい。ただ、その価値観は多くの人に受け入れられるものではない("愛"や"思いやり"を信じたい人間の方が多い)と思います。
人間の行動を判断する時と動物の行動を判断する場合にクライテリアを変えておられるなら、それはドナルドソン氏が科学を語る資格のない方である証左だと私は考えます。
"もうそろそろ人間はイヌのありのままの姿を受け入れるべき"と愛犬家達にアピールする表現をしておきながら、ダブルスタンダードを設けて、信奉するスキナーの教義によって "犬のありのままの姿"を受け入れられない(しかもそれを押し付けようとしている)のは、ドナルドソン氏自身に他なりません。


念のために書いておきますが、私は行動分析学的なトレーニングを全面的に否定するつもりはありません。事実、古典的条件づけとオペラント条件づけに基づくトレーニングを(細々とですが)続けています。また、"ザ・カルチャークラッシュ"の中で紹介されている犬のトレーニング技法については、具体的でよくまとめられているとも評価しています。が、書籍全体としては良書だとは思えませんし、評価もしたくないのです。

ドナルドソン氏は、"ヒト文化とイヌ文化の衝突"に関して、犬の行動を(人間の都合の良いように)変える(ことによって、不幸な犬を減らす?)ためにトレーニングをされているようですが、私のスタンスは全く異なるのです。

"Properly trained, a man can be dog's best friend." - Corey Ford
 
posted by Tosh at 12:16| Comment(6) | 雑記帳
この記事へのコメント
僕も"ザ・カルチャークラッシュ"読みましたが、原文を見るのははじめてでした。
確かに、とーちゃんさんの仰る通り かなりニュアンスが違っているように感じますね。

ウチは人間との共同作業に生き甲斐を感じてくれる”いわゆる”使役を目的とした犬種ではないので人間と暮らす上で最低限のNGを教えるだけで、積極的にしつけはしていません(それがあの野生児っぷりです。笑)。ので、こういった話題に無頓着なのかもしれません。もっと興味を持たなければいけないなぁと再認識しました。(^^;)ゝ
Posted by ラフ父 at 2012年01月02日 23:39
ラフ父さん、
感情的?な記事だったにもかかわらず、冷静なコメントをありがとうございます。

ウチも、ファルコについてはいわゆる"しつけ"をほとんど何もしていません。ご存知のとおりの"まったり犬"で、その必要をあまり感じなかったものですから。ナットに関しては我が家での生活の仕方/ルールを"しつけ"なければいけないと感じてはいるのですが、今まではそれ以前のレベルで、彼が落ち着いて自信を持てるようにすること(単に愛情を注ぐこと)に注力してきたような状況です。

"ザ・カルチャークラッシュ"について、私が最も否定的に感じているのは"イヌのありのままの姿を知るべき"と書いているくせに、自身の(イデオロギーに基づく)フィルタによって客観的な"犬像"を見ようとしていない、そしてそれを読者に押し付けていることなんですよ。
なので、(少なくともこの記事においては)トレーニングの方法論について何か言おうというつもりはないんです。

先代のラルフ君もラフ君も気難しいところがないのは、ラフ父さん達が充分な愛情をもって接し、彼らの欲求(本能?)を理解した暮らし方をされているからだと私は思っています。そして、それこそが一番大事なことだろうと考えているのです。
Posted by Tosh at 2012年01月03日 01:39
>充分な愛情をもって接し、彼らの欲求(本能?)を理解した暮らし方をされている

これ・・・これこそが一番だいじな部分ですよね。
わたしは犬関係の本は読むことは読んでも表面的にサラっと理解するだけなので(←ダメじゃん)こんなふうに理路整然と書かれていると、今まで感じていたもやもやがハッキリしたようで、大変に助かります。
なんだかわからないけれども感じていた違和感は、そういうことだったのか・・・と、妙に納得しています。
Posted by みみさら at 2012年01月04日 12:40
みみさらさん、
コメント欄までご覧いただいているんですね。光栄です!
でも、私自身は今回の記事については、かなり感情的で理路整然という状態からはほど遠いと理解しているつもりです。
ですが、"ザ・カルチャークラッシュ"を読んだ際の違和感は、理屈ではなく感情だったことを思い出して、"実は感情(愛情や愛着)こそが犬との暮らしにおいて最重要なんじゃないか?"、"ドナルドソン氏(および日本語版の制作者達)はそれを無視しておられるんじゃないか?"という一愛犬家としての感情から記事を綴ってみたわけです。

ご存知のように私自身は犬のしつけもマトモにできないド素人なわけですから、こんな記事を掲載すると、ずっと犬達と苦労してこられた先輩方を不愉快にさせるかもしれないと危惧もしているんですけどね...
Posted by Tosh at 2012年01月04日 14:56
こんにちは。
はじめまして。

突然ですが、過去記事を引っ張り出して、申し訳ないのですが、お聞きしたいことがあったので、コメントさせて頂きました。

私は、ほぼ独学で犬をしつけ・訓練している一般の学生です。
日本語版の"ザ・カルチャークラッシュ"を所持しています。

これまでしつけや訓練をやってきましたが、ジーン・ドナルドソン氏が言っていることは、間違いではないと考えています。それに、モデル/ライバル法も犬に適用できると考えています。

"ザ・カルチャークラッシュ"についてですが、所々ですが読んでいて違和感を感じる時はあるのですが、Toshさんが批判する意味が理解できていません。

私も一愛犬家として意見を聞いてみたいです。



原文と日本文の違いや、ジーン・ドナルドソン氏の言い回し方について、Toshさんは感情的になられたのでしょうか?



>"イヌのありのままの姿を知るべき"と書いているくせに、自身の(イデオロギーに基づく)フィルタによって客観的な"犬像"を見ようとしていない

これの、客観的な犬像を見ようとしていないとは、一体どういうことなのか教えてください。



長文になり、申し訳ないです。
お返事を頂けると、幸いです。

Posted by チョビ at 2014年09月30日 11:39
チョビさん、
はじめまして。拙い記事を読んでくださり、ありがとうございます。

私のこの記事が多少なりとも感情的になっている理由というのは、"それでもイヌが好き"という持ち上げるような記事を書いてしまったことを慙愧の念に堪えないと感じているからなんだろうと思います。

さらに、行動主義に基づくトレーニングを"こういった方法もある"と謙虚に伝えるのではなく、"これこそ科学的な手法だ"と独善的に言い放つ(そして、それを誤摩化す日本語版の制作)スタンスに強い反発を覚えるからとも言えるでしょうか。

チョビさんは、"モデル/ライバル法も犬に適用できる"可能性を感じておられるようですが、ドナルドソン氏はそうは考えておられませんね。B.F.スキナーの教義にストイックにこだわっておられるように見える氏は、(p.14で)犬の観察学習を否定しておられます(原文ではより明瞭なのですが)。


"客観的な犬像を見ようとしていない"というのは、端的に言えば p.28の"イヌ本来の性質"に荒唐無稽な内容を並べておられること等を指しています。具体的な指摘は本文中でリンクしている"犬の愛に嘘はない"の記事中でも記しているつもりです。

本記事で"犬という伴侶動物に対する基本的な認識の部分については、とても容認できない"とドナルドソン氏を批判しているのは主に第1章についてですが、"ザ・カルチャークラッシュ"を賞賛する声が多いことに対して懸念を感じている側面もあります。
現在においては、行動主義的なトレーナーこそが主流になっていると思われますが、トレーニングを始める際に「犬には、"損"と"得" この判断基準しかないと思ってください」とウソを刷り込んだり、強制訓練系?の方(端的な例としてシーザー・ミラン氏)を"非科学的"、"非人道的"だと頭ごなしに否定(攻撃)する風潮にも疑問(不安)を感じているのです。

ファルがパピーの頃(最初にお世話になったトレーナーさんに疑問を感じていた時)に読んで考えさせられたページがあるので紹介させていただきますね。
http://living-with-dogs.com/modules/xfsection/article.php?articleid=288
実は、私がクリッカーの使い方を教わった件のトレーナーさんは、ある保護施設から問題行動のある犬を迎えて一所懸命に"矯正"しようとされていました。が、結局手に負えなくなって(自身では幸せにしてやれないと判断されて)シェルターに返されたようです...


ドッグトレーナーさんの世界では"最新の科学に基づく"と喧伝される行動主義のアプローチが、現在の心理学(や科学全般)の中でどのように捉えられているかについても少し情報を書かせていただきます。

記事にしようかと思いながら放ったらかしになっている面白い本があります。認知心理学者であるブライアン・ヘア(夫妻)による "あなたの犬は「天才」だ"。
10章 "天才に教える"(p.257以降)には、トレーナーさん達が古くさい行動主義をもてはやしている現状に対して、辛辣とも言える批判がまとめられています。興味を持っていただけるなら、ぜひご一読ください。
この章の中で著者は行動主義の基本原則を説明し、一定の効果が見込めることを示した後にこう書いておられます。
「とはいうものの、これらのスキナー派の原則は、飼い犬を理解し一緒に暮らすことを楽しむのには、まったく役に立たない。」(p.273)
Posted by Tosh at 2014年09月30日 23:23
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