以前の記事で amazon.comでリコメンドされたと書いた "A Dog's Purpose"の日本語訳が少し前に出版されていたのです。

"エンゾ..."の方は、犬を語り手にしているとは言っても作品のテーマは飼い主(家族)の生き方だったように思えるのですが、"野良犬トビーの..."の方は、本当に犬自身が主役の作品です。
主人公の犬が、いろんな経験を通して、自分がこの世に送り出された意味(目的)に気付いていくというストーリーなのですが、それが荒唐無稽なおとぎ話ではなく一定のリアリティを伴ったファンタジーに仕上がっているのは素晴らしい。
それを支えているのは、犬はこんな風に世界を捉えているんじゃないかという部分がきっちり押さえられているからだと思います。
著者のキャメロン氏は、謝辞の中で、"犬がどんなふうに考えるか調べるために使った著作物"として、4冊の書名とそれ以外に 4名の著作者を挙げておられます。書名が明記されていて日本語訳が出ているのは、デズモンド・モリス著の"ドッグ・ウォッチング − イヌ好きのための動物行動学"と、エリザベス・マーシャル・トーマス著の "犬たちの隠された生活"。
犬の立場で捉えると、日々の些細なできごとも(人間の解釈とは異なって)こんな風に感じられているのかもしれないと気付かせてくれるだけでも、充分に面白い作品に仕上がっていると思います。

もっとも、犬が自身の存在証明を認識するという点に関しては、行き過ぎ感も覚えるかもしれません。犬は自分の"目的"なんて考えないはずだ と。
が、ひょっとしたら、この点こそが著者の狙いだったような気もします。
私自身の存在意義、私がこの世に生まれた理由、結局のところ私は誰なのか... それを問われた時に、私は即答することができません。
豊かな物質文明の恩恵を受け、自由な生き方の選択を許された社会で生活する中で、私は自分の"目的"を見失っているのかもしれませんね。
若い頃に"自分探し"を続けていたつもりが、いつの間にか日々の生活に追われ、ただ月日が過ぎて行ってるんじゃないか?... ひょっとしたら、家族と一緒に居ることだけを望んでいるように見える愛犬の方こそ"目的"を知っていると言えるんじゃないか?... そんなことも考えさせられた素敵な小説でした。

本の内容とはズレるのですが、ちょっと書いておきたいことがあります。
原題は "A Dog's Purpose"。そのまま訳せば "ある犬の目的"ですね。
私は、この直訳タイトルの方がずっとしっくりくると感じるのですが、日本語版の編集者はなぜこんなおかしな書名を付けたのでしょう? "転生"はこの小説の重要な要素かもしれませんが、"愛すべき"なんて修飾語は明確に邪魔だと思います。
"エンゾ..."の方も、原題は "The Art of Racing in the Rain"なのに、なぜ "雨の中のレース術"とでも訳さずに、"レーサーになりたかった犬"と内容とは微妙に異なる(ウソの)タイトルを付けるのでしょう?
小説ではありませんが、スタンレー・コレン氏の一連の著作の日本語タイトルにも、かなり違和感を覚えます。
原著者が思いと意味を込めて付けられたのであろうタイトルを、売れんかなの発想で(としか私には思えません)迎合的なフレーズに変えてしまうのは、非常に文化度が低い(少なくとも原著者に失礼だ)と感じます。
日本の愛犬家たちを出版界は小バカにしているようにも思えてなりません。

なんか今回は口がすべってる感じですが、調子に乗って 最近観たアニメのことにも触れておきましょう。

1998-9年の "COWBOY BEBOP"というアニメはリアルタイムで観ていて、その世界観や音楽のかっこ良さに惹かれたのですが、同じスタッフが作ったということで興味を持った作品でした。
より正確に言うと、菅野よう子氏の音楽(特に THE SEATSBELTSなんですが)が好きなもので、先にサウンドトラックCDを聴いて、やっぱりアニメも観ようと思ったんですけどね。
このアニメの主人公は狼。"自分は何ものなのか"を探す青春群像のロードムービーといった趣きの作品です。
"狼から人間が作られた"とか、"かつて狼だったものが人間になっているのに、狼であったことを忘れている"というようなセリフも出てきます。
久しぶり(10年以上ぶり?)にアニメを真剣に観たのですが、私にはとっても面白かったです。
"野良犬トビーの愛すべき転生"にせよ、"WOLF'S RAIN"にせよ、犬や(シンボライズされた)狼を主人公としていますが、大切な"忘れ物"に気付かせてくれるような、そしてある種の希望を与えてくれるとも言える作品でした。
興味を持たれた方はゼヒ!

以前の記事で "ヒグラシの声で夏休みが終わりを感じた"というようなことを書いてしまったのですが、どうやらこれは記憶違いのようですね。
楽しかった一日の終わり(夕暮れ)に響くカナカナカナという少し物悲しい音色のイメージで、秋の訪れと混同してしまったのかもしれません。
いつものことですが、イイカゲンなことを書いちゃってすみません。