2012年09月30日

犬から見た世界

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以前(もう10年以上前になりますが)実家で飼っていたチヨは、私が何ヶ月ぶりかで帰省したような際にも、数分前に到着がわかったようです。全く連絡せずに(家人も知らない状態で)訪れた場合でも、家から100mほどまで歩いて近づいたところで、甘えた鳴き声が私にも聞こえてくるのが常でした。その声は独特で、父母には私(かカミさん)が来たことがはっきりわかったそうです。

足音が聞こえてくる ほら あの角を曲がった
高鳴る胸 待ちわびた いとしいひとよ

(SUN POIKO 「恋のうた」より引用 CD"犬のうた"収録)

チヨが私の帰着を知ったのは、おそらく微妙な足音の違いが判別できたのだろうと当時から思っていました。というのは、車で帰る時にも、駐車場に入る際のタイヤと土の音で私(達夫婦の車)を識別していると思われることが多かったからです。

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今現在のファルコとナットはどうかというと、足音はうまく聞き分けられていないかもしれません。たまに私が帰宅した際にファルコに(警戒的に)吠えられることもありますから...もうやだ〜(悲しい顔) # 高機密住宅のせいで、微妙な音が室内に伝わらないのかもしれませんけどね。
が、実は車の音には非常に敏感です。平日は私が先に帰っていて、カミさんが遅くに車で帰ってくることが多いのですが、私に車の音が聞こえるよりもかなり前(時には、おそらく1Kmほど離れている時点)から、二頭ともソワソワし始めます。
もっとも、まれに別の車の音をウチのだと思って外れることもありますし、今年の初頭に車を買い替えた時には、1ヶ月近く"他所の車"だと認識していたようですけど。

なに見ているの?
キミの瞳になにが見えるの?

・・・
なに聞いてるの?
キミの耳にはなにが聞こえてるの?

(SUN POIKO 「HAPPY TAIL」より引用 CD"犬の惑星"収録)

犬好きなら誰しも、愛犬がどんな風に世界を感じているのかを知りたいと思うことがあるのではないでしょうか?

子供の頃、犬は色盲でモノクロで世界を見ている... 犬の人間の何万倍もの嗅覚を持つ... と聞いて、想像はできないものの、何となくわかったような気になっていました。
外飼いだった実家の和犬たちは"ペット"の範疇だったので、それで納得していたのかもしれませんが、"家族"として付き合っているファルコやナットを見ていると、彼らがどんな風に世界(もちろん、私たち人間を含んで)を認識しているのかもっと知りたくなりました。

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愛犬達が私が見ているのとは違うものを見ているかもしれないと明確に意識させられたのは、テンプル・グランディン氏の"動物感覚"を読んだ時でした。
"第2章 動物はこんなふうに世界を知覚する"の中では、"動物は細部を見ている"とか "感覚は動物によってちがう"といったことが書かれていて、自分たちとは異なる生き物を理解することの難しさにあらためて気付かされたものです。

犬が持つ"能力"として、視覚、聴覚、嗅覚等について最近の認識がまとめられていたのは、スタンレー・コレン氏の "犬も平気でうそをつく?"でした。
# この本の読みどころは、むしろ犬の知能や思考力についての部分ですが。

少し前の記事で、犬が身の回りのことをどんな風に捉えているかがリアル?に書かれた小説(野良犬トビーの愛すべき転生)に触れました。
実はちょうど同じ頃に、別の本も同時進行で読んでいたのですが、今回はその書籍を少しだけ紹介しておきましょう。

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アレクサンドラ・ホロウィッツ著 「犬から見た世界 - その目で耳で鼻で感じていること」です。
# なんかボロボロに傷んでいるのは、ナットが齧ったから...もうやだ〜(悲しい顔)

著者は動物行動学と認知心理学の研究者。"犬派の人間であり、犬を愛している"という彼女は、前書き部でこの書籍の主旨をこう書いておられます。

リードを握る手をちょっと休めて、彼らを科学的に見てみよう。そうしたからといって、犬の魅力は変わらない。犬の能力と、彼らが世界を見る見方は、特別な関心を受ける価値がある。そしてその結果は、まさにすばらしいの一語につきるのだ。科学はわたしたちを犬から遠ざけはしない。それどころか、これによってわたしたちは犬の真の性質により近づき、驚異の念を抱くことができる。
・・・
わたしは犬の内側(インサイド)に入り込み、犬が世界を見る見方をかいまみた。読者も同じことができるはずだ。いま足下にいるその大きな毛のかたまり − その中にあなたが見るものが、いま変わろうとしている。
(アレクサンドラ・ホロウィッツ著 「犬から見た世界]  p.22より引用)

著者は"犬の内側"に入リ込むための基盤を、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル氏の環世界(ウムヴェルト)という概念に置かれています。
環世界とは、"それぞれの動物種は自らの行動(知覚と作用の結果)が有意味となる環境(だけ)を独自の世界(主観的現実)として生きている"というような考え方のようです。# 恥ずかしながら、私はこの言葉自体も知りませんでした。

犬の内側に入るためには、まず犬の感覚能力について小さな事実を集め、つぎにそれらに基づいていくつかの大きな推理を導き出すことになる。ひとつの推理は犬の経験についてである。現実に、犬であるとはどういう感じなのか。犬は世界をどう経験しているのか。
(アレクサンドラ・ホロウィッツ著 「犬から見た世界]  p.275-276より引用)

この本は、副題にもあるとおり、最新の研究結果も踏まえて犬の知覚を考察することにボリュームが割かれています。特に目新しいトピックがあるわけではないのですが、"環世界"という立脚点がきっちりしているので、単なるトリビア的な知識に終わらず、その次の"推理"に繋がっていきます。

最近読んだ "教科書的"な犬本の中ではトップレベルの面白さでした。どのくらい興味を持ったかというと、こんな本↓まで買ってしまうほど...

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ジェームス・ギブソン氏のアフォーダンス理論の入門書ですが、非常にエキサイティングで面白かったです。
"アフォーダンス"自体は、ユクスキュル氏の言う"作用トーン"と近い概念のように思われますが、ギブソン氏の理論全体は、"世界や人間の行為や精神についての見方が根本的に変わる"ほど衝撃的なものでした。

アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである。
・・・
アフォーダンスは事物の物理的な性質ではない。それは「動物にとっての環境の性質」である。アフォーダンスは知覚者の主観が構成するものでもない。それは環境の中に実在する、知覚者にとって価値がある情報である。
(佐々木正人著 「アフォーダンス - 新しい認知の理論]  p.60-61より引用)

生態学的認識論は、情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考える。知覚は情報を直接手に入れる活動であり、脳の中で情報を間接的につくり出すことではない。私たちが認識のためにしていることは、自身を包囲している環境に情報を「探索する」ことなのである。
(佐々木正人著 「アフォーダンス - 新しい認知の理論]  p.54より引用)

...ちょっと脱線してしまいました。話を元に戻します。

"犬から見た世界"は、犬がどのように世界を見ているかについての科学的考察(もちろん、推論の部分を含めて)が主題ですが、ホロウィッツ氏の愛犬達(アスターからフィネガンまで)に対するラブレター(少なくとも親愛の表明)といった趣きのエッセーとしての要素も持っています。

ところどころに挿入されている、主に先代のパンパーニッケルとの回想を主体とした散文は、著者の愛犬家としての面を表に出した素敵なもの。
一つだけ、"絆を形成できること"という節のものを紹介しておきましょう。

それは相互反応という感じである。わたしたちのどちらかが相手に近づき、もしくは見つめるたびに、それはなんらかの反応を作り上げ、わたしたちを変えた。彼女が見たり歩きまわったりするのを見て、わたしはほほえんだ。彼女の尻尾がバタバタする。注意と楽しさを示唆する耳と目のかすかな筋肉の動き。わたしはそれを見ることができた。
(アレクサンドラ・ホロウィッツ著 「犬から見た世界]  p.22より引用)

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この書籍の原題は "Inside of a Dog"。これを"犬から見た世界"という書名にしたのは、環世界の提唱者 ユクスキュル氏の "生物から見た世界"を受けてのものだと思われます。しごくまっとうな命名でしょうね。

ただ、"訳者あとがき"によると、原題はよく知られた格言(ジョーク)からとられているそうです。
"Outside of a dog, a book is man's best friend. Inside of a dog it's too dark to read." - Groucho Marx

だとすると、ホロウィッツ氏がタイトルに込められた意味は明らかです。
"犬こそ人間の最良の友である"。
posted by Tosh at 22:33| Comment(0) | 雑記帳
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