オフリードの法的解釈の続きです。
このブログを読んでくださっている方の多くは、もう辟易されているかもしれませんね。こんな声が聞こえてきそうです。
なぜこの人はムキになってノーリードのことを書き続けてるんだろう?
行政機関の現場が"ノーリード禁止"って看板を立ててるんだし、犬の飼い主でさえノーリードは迷惑行為だと判断している人が多い。法律の専門家がノーリードは違法だと書いているのも見たことがある。
法律の条文がどうなっていようが、既にノーリード禁止は我が国におけるルールだろう。こんなことを続けて何の得になるんだ?
たしかに私は風車に立ち向かっている愚か者かもしれませんが...
"And maddest of all, to see life as it is and not as it should be!"
- Miguel De Cervantes
ウチの近所では"犬連れ禁止"の公園は見かけたことがありません。が、"犬の放し飼い禁止"の看板があちこちに立てられた公園はあります。
こういった看板を目にする度に、私は陰鬱な気分になると同時に、日本中で見られる別のイメージが浮かんできます。それは、人がよく訪れる公園等の水辺がフェンスで囲まれている風景です。景観を悪くしているのはもちろんですが、ここまで"管理"されなきゃいけないのかと、なんか自分(達)が卑小化されたような気がするのです。
もちろん、池に柵が張り巡らされることによって救われる命はあると思います。小さな子供を持つ親御さんにとっては、行政に安全策を求めたくなる気持ちはわからないではありません。が、そのような目に見える外からの管理策をどれだけ積み重ねれば、事故が撲滅できるというのでしょう?
世界中で最も治安の良い国の一つに挙げられる日本。しかしその一方で危機管理能力の低さが指摘されることも多いと感じます。
西欧流の"自己責任"を重視しなければいけないと安易に主張するつもりはありませんが、上記のような"安全"を行政に求める姿勢は、集団主義の陥穽に堕ちかねない怖さも感じてしまうのです。
ある獣医さんが、自身のブログで"ノーリードは明らかに法律違反"だと主張し、先の記事でも紹介している"法律"第七条1項 (最後の文が "人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない"という項)を引用して、ご丁寧にも次のように解説しておられます。
犬の放し飼いを迷惑と考える人が存在する時点で犬の飼い主さんはこの法律に違反していることとなります。
敢えて反論する必要すら感じませんが、この獣医さんは"犬の存在そのものが迷惑だ"と言う方に、どう応えられるつもりでしょうかね?
仮にも動物のプロである方がこんないい加減なことを書くべきではないと思いますが、個人攻撃をしたいわけではありませんので、敢えてリンクは貼りません。そんなことをしたら、ノーリード反対派の中のヒステリックな方々と同じ土俵に堕ちてしまいますから。
が、考えてみると、"誰か(一人でも)が迷惑を受けたと主張された時点で罪"という感覚は、多くの日本人がなんとなく持っているものなのかもしれないとも感じます。
聖徳太子の"以和為貴"は、今も脈々と私たちの中に受け継がれているのかもしれませんね。十七条憲法の十に曰わく 彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。自分の考えよりも周りに合わせて行動しろという、私が非常に抵抗を覚える教えです。
行政の現場が苦情を怖れて臭いものに蓋をするような対応をすることも、国民の中に"赤信号、皆で渡れば恐くない"といった行動パターンが見られるのも、根っ子は同じ"事なかれ主義"だと思います。
最近の流行言葉?の"ならぬことはならぬものです"。なんかカッコ良さそうに取り上げられることが多いようですが、なぜ"ならぬ"のかをきちんと自分で考えないかぎり、単に思考停止を起こさせて(権力にとって扱いやすい人間を育てて)いるだけに思えて仕方ありません。やっぱり私はかなり天の邪鬼なんでしょうかね?
言い訳のように聞こえるかもしれませんが、私はこういった日本人の性向を全面的に否定するものではありません。ある意味では誇るべき精神文化だとさえ思っています。
が、それは思いやりや譲り合いといった形で、暖かい社会を作る基盤(マナー等)に活かされるべきであって、法令等といったルールの解釈を恣意的におこなったり、なんでも行政に責任を押し付けるような風潮とは一線を画するべき事柄だと考えます。
東京周辺では、"ノーリードを繰り返す悪質な飼い主のせいで、公園が次々と犬連れ禁止になった"といった話もネット上では見かけます。そういった"犬連れ禁止"を増やさないために、"常識的な飼い主"の方々が、"オフリード"を取り締まるといった風潮も見受けられますね。
この流れに違和感を覚えて少し調べてみたのですが、明確な法的根拠(条例や規則の規定)をもって"犬連れ禁止"に指定された公園というのはかなり少ないのではないかと思われます。いわゆる公園条例等の条文を拡大解釈して、"犬連れ禁止"の看板が立てられているパターンの方が多いようなのです。
もちろん、中には東京都板橋区の区立公園のように、条例(東京都板橋区立公園条例)でしっかりと禁止されているものもあります。ちなみにその条文は以下のものです。
第5条の2 公園内では、次の各号に掲げる行為をしてはならない。ただし、法第5条第2項、法第6条第1項若しくは第3項若しくは前条第1項若しくは第3項の許可又は次項の規定による解除に係るものについては、この限りでない。
(4) 動物を連れ込み、又は危険な物を持ち込むこと。
動物(犬)は"危険な物"と同列に扱われていますね...
明確な法的根拠をもたない"犬連れ禁止"の看板や、"危険な物"扱いする条例に対しては、改善を求めていく(犬と共生できる社会作りを目指す)のが、本来の飼い主の在り方だと私は考えています。
"お上の言いなり"にはなって、ノーリードをする人を悪者として叩いて憂さを晴らすというのは、何かちょっと違うような気がしてなりません。
何かの拍子に検索結果の上位に表示されて開いてしまうことのある、各種の掲示板におけるノーリード批判の記事。一時期拾い読みをしたこともありますが、あまりにレベルの低い主張や誹謗中傷に、私は気分が悪くなってしまいました。
そういう場やノーリード撲滅を訴えるブログ等で、"常識的な飼い主"が"ノーリードは違法"である根拠として示しておられるものの中には、いくつか共通するサイトが出てきます。それは、法律の専門家、あるいはそのふりをしている方によって書かれた"法解釈"のページです。
例えば、ある弁護士さんが法律事務所サイトのコラム内で、兵庫県の"条例"第12条を引用して、こんなことを書いておられます。
当地(兵庫県)では,生後90日を越えた犬を連れて屋外を散歩する場合は,かならず鎖等でつないでおかなければならず(「当該飼い犬が人の生命等に害を加えるおそれがないとき」という但書きに該当する場面・状況は基本的に想定できませんので。),いわゆるノーリード状態で犬を連れての散歩は,条例違反ということになります。
兵庫県の条例をきちんと理解されている方(や私の前の記事を読んでくださった奇特な方)は、何がおかしいかすぐにわかりますよね。
"当該飼い犬が人の生命等に害を加えるおそれがないとき"が想定できないのであれば、オンリードでの散歩("鎖でつなぐ等の方法で連れ出す"こと)も条例違反と断じなくてはいけません。
このコラムを読んだ多くの方は、"よくわからないけど、弁護士さんがこうやって説明してくれているんなら、ノーリードは間違いなく違法なんだろう"ということになりかねませんよね?
中学生でもわかるような論理破綻した見解を、弁護士事務所のサイトに掲載されている悪影響の大きさは憂慮すべきものです。
親切にも?"法解釈"をしておられるサイトが対象としていることが多いのは東京都の"条例"です。念のために、その"条例"(と条例施行規則)の該当する箇所を掲載しておきます。
東京都動物の愛護及び管理に関する条例
第9条 犬の飼い主は、次に掲げる事項を遵守しなければならない。
一 犬を逸走させないため、犬をさく、おりその他囲いの中で、又は人の生命若しくは身体に危害を加えるおそれのない場所において固定した物に綱若しくは鎖で確実につないで、飼養又は保管をすること。ただし、次のイからニまでのいずれかに該当する場合は、この限りでない。
イ 警察犬、盲導犬等をその目的のために使用する場合
ロ 犬を制御できる者が、人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法で犬を訓練する場合
ハ 犬を制御できる者が、犬を綱、鎖等で確実に保持して、移動させ、又は運動させる場合
ニ その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合で、東京都規則(以下「規則」という。)で定めるとき。
東京都動物の愛護及び管理に関する条例施行規則
第3条 条例第9条第1号ニに規定する規則で定めるときは、次の各号に掲げるとおりとする。
一 犬を制御できる者の管理の下で、犬を興行、展示、映画製作、曲芸、競技会、テレビ出演又は写真撮影に使用するとき。
二 犬を制御できる者が犬を調教するとき。
"ペットの関連法規の研究"をしているという方(あるいは方々)が、"動物愛護法"を"できるだけわかりやすく内容を解説"しているというサイトには、先の弁護士に劣らぬような無茶が書かれています。
例えば、東京都の"条例"第9条一項の"ロ"と"ハ"の説明。
"犬を制御できる者"という言葉について、"ロ"では "「訓練士」などを想定"していて 一般の飼い主さん"に対する条項ではないと解説されています。ところが "ハ"の方は "「移動」と「運動」が入りますので、一般の犬の飼い主さんもここに含まれる"とのこと...
いやはや、もう言葉をなくしてしまいます。同じ法的文書で(おまけに同じ条の同じ項で)全く同じに表記された言葉が、文脈によって違う意味を持っているなんていうことを、堂々と"解説"される神経が理解できません。
結論ありきで無理やり読み解こうとされるとこうなるのかな?という悪い見本のような説明です。
ちなみにこのサイトは、他の解説も含めて"トンデモ"のオンパレードです。ひょっとしたらジョークサイトとして作られたのかとも疑うのですが、鵜呑みにされる方もいるようです。情けない限りですが...
もう一つ、ノーリード反対派の方が "きちんとまとめられている"としてリンクを貼られているのをよく見かけるサイトがあります。
ご自身で"法律家による解説"とも書いておられますし、"法律の基礎を理解していない素人の方は...自己流の法解釈を為されがちですが..."とか "間違いだらけの素人解釈"といった(エラそうな)記述をされているので、専門家なのかなと思いながら読んでみると...
いかにも"法律家"であることを誇示するかのような読み辛い文章。ですが、もっともらしく長々と綴られていても同じ内容の繰り返しで中身はそれほど充実しているとは思えません。
法令等はこう読まなきゃいけないといった解説をありがたがる方もいらっしゃるかもしれませんが、各所に散りばめられた無理解や嘘をきちんと見抜けないと、"洗脳"されてしまうかもしれない酷い代物です。
今後もそのサイトを真に受ける被害者を増やさないために、間違い(あるいは故意の嘘)の一部を指摘しておきます。
"序文"とされたページ内で、"まず動物愛護管理法とは一体、どのような法律なのでしょうか!?"という設問を設けて、"法律"第一条を引用した上で以下のようにまとめておられます。
従ってこの法律は、以下の3点を目的(立法趣旨)として立法化された法律であるということです。
@動物全般への虐待の防止
A動物全般種への愛護事項
B動物の管理に関する事項を定め、動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止すること。
そして、別のページでは"法律"第七条(動物の所有者又は占有者の責務等)のことを、"第1条の立法目的、B(動物の管理に関する事項を定め、動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止すること。)を根拠として規定された条文です。"と解説されています。
"犬に関する法令等"の記事で私も同じ条文を掲載していますので、ぜひ(もう一度)ご覧いただければと思うのですが、素直に読めば第一条で謳われている目的は以下の二つです。
1. 愛護に関する事項 -> 国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する
2. 管理に関する事項 -> 動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止する
だからこそ、"動物の愛護及び管理に関する法律"なわけなのに、なぜ"愛護に関する目的"の方を隠すような嘘を書かれているのでしょう?
なお、第七条1項には、"動物の健康及び安全を保持するように努める"と "人の生命、身体若しくは財産に害を加え、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努める"という "愛護"と"管理"両面での責務が明記されています。
"一般の方"に教えてやるというスタンスなのに、"法律"の目的からして誤った解説をしておられる... この箇所だけをとってみても、まともに"動物愛護管理法"を語れる方でないことは明らかでしょう。
"管理"面を重視して東京都の"条例"第9条一項についても、くどくどと解説をされているのですが、悪質とも取れる印象操作も目に余ります。
以前より悪質な自称愛犬家らしき一般の方が、『動物の愛護及び管理に関する法律』第16条において、「政令で定める動物」(動物の愛護及び管理に関する法律施行令)の中に一般犬が記載されていなければ、「人の生命、身体又は財産に害を加えるおそれがある動物」ではないなどという法律実務上ではあり得ない驚くべき素人解釈を為されていますが、
他の記述からも読み取れるのですが、このサイトを作った方は、いわゆる"特定動物"に犬が含まれていないことが気に入らないようです。
"人の生命、身体又は財産に害を加えるおそれがある動物"はきちんと定義された概念で、そこに犬が含まれていないのは誰の目にも明らかです。興味ある方はぜひ調べてみてください。
"法律実務上ではあり得ない驚くべき素人解釈"といった誹謗中傷を受けるべきはいったいどちらでしょう?
そして、法令等ではどこにも書かれていない"人の生命若しくは身体に危害を加えるおそれのありうる動物"という定義を勝手に作って、犬はそれに相当するという立脚点で東京都の"条例"第9条一項を解説しておられます。
念のために書いておくと、犬を"...危害を加えるおそれのありうる動物"とみなすこと自体は間違ってはいません。条文の行間を読めばそのとおりでしょう。が、1ページの中で6回も(サイト全体では10数回も)"...おそれのありうる動物である犬"といった表現を連発するのは、非常に作為的で、悪意をもったものと感じざるをえません。
で、この方が導き出した結論の中にはこのような文章があります。
一般家庭犬の訓練に関しては、囲まれた私有地などや、その他人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法(第9条一のロ)の条件を満たす以外は、
@社会的妥当性のある社会目的の要請があり、
A人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれがない事が利用者以外の第三者に対しては確保され、利用者相互においては、侵害のおそれが客観的に見てかなり低いであろうと思われるほどの対策がとられている。
などの要件を満たしたノーリード(放し飼い)が許可された施設や場所などの利用以外、犬のノーリード(放し飼い)は認められないという事になります。
"利用者相互においては..."というのはいわゆるドッグランの利用者を想定されているようです。が、"要件"の内容はこの方の頭の中で考えられたもの以外の何物でもありません。"ノーリード(放し飼い)が許可された施設や場所"という言葉も出てきますが、そんな文言は法令等のどこを探しても書いてありません。
東京都の"条例"には "人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所"という記述しかないのに、この方はどこから"許可された施設や場所"というのを引っ張り出してこられたんでしょう?
しつけのよいとか他人に危害を加えるおそれがない犬などという、各犬に対する各個人の所有者しか知りえる事の出来ない主観的な性質などによって例外規定を設けるなどという条例、条文は日本にはどこにも存在していません。
他の部分にはこのような記述もあります。
一つ前の記事で示したように、兵庫県の"条例"には "当該飼い犬が人の生命等に害を加えるおそれがないとき"という条件が明記されていますが...?
数少ないリンク先に "飼い主の資質が改善されない限り、ペットは、地球上からなくすべきもの"という過激なサイトを挙げておられることなども含んで考えると、この方は、かなりの"嫌犬家"ではないかという想像も働いてしまいます。
いずれにせよ、本物の"法律家"なのであれば、まともに法令等を読む能力のない不適格者だと思いますし、"法律家"を騙って恣意的で誤った解釈を広めようとされているなら、非常に悪質なサイトと断じざるをえません。
それなのに、多くのノーリード反対派(犬の飼い主だと思われる方も)が、このサイトを"(許可された場所以外では)ノーリードは禁止されている"根拠としてリンクを貼られていたりするのです。
そういった方々が、本当にこのサイトの記述を理解(納得)した上で紹介しておられるのかは甚だ疑問ですが...
義務教育を終えた方であれば、犬の飼い方に関する法令等はそんなに読むのが苦痛な代物ではありません。なぜ自分自身で法令等も読んで、そして考えてから意見を持とうとされないのでしょう?
さて、いわゆる"ドッグラン"の法的位置づけについて問題提起をして、(自分で書いていても嫌になるような)くどい記事を終わりにします。
"ノーリードが許可されたドッグラン"といった言葉をあちこちでみかけますね。ノーリード反対派の方のブログ等はもちろん、地方公共団体のサイトにも記載されているものがあります。
では、ドッグランではリードを離して自由に運動させて良いというのは、法令等ではどこに書かれているのでしょうか?
本記事をまとめるにあたって私はかなり調べてみたのですが、納得できる根拠を見つけられていません。
# ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示ください!
あまりにわからないので、複数の行政機関の公設ドッグランを管理しておられる部署に電話での問い合わせをしてみました。担当者の見解は、東京都なら"条例"第9条一項の例外規定によって許可されているとのこと。
ドッグランは "人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所"に相当するということだそうです。
いわゆるドッグランでは、利用者の飼い犬間でトラブルが頻発していることも行政の担当者は認識しておられました。ドッグランにおいて他の飼い犬を噛んで怪我をさせたといった事例はごく当たり前に起きてしまっているわけです。
言うまでもありませんが、別の犬を怪我させたというのは、明らかに"人の財産に対する侵害"とみなされます。現に侵害が発生している場所を "侵害のおそれのない場所"と認定するのはあまりにも無理がないでしょうか?
そんな道理が通るなら、"侵害が起きていない"一般の公園などでは、大手を振って"オフリード"での訓練ができる(例外規定に相当する)はずです。
私は行政担当者がこう言ったという話は、法的にはほとんど意味を持たないと考えていますので(そうでなければ行政を相手取った訴訟なんて不可能ですよね)、これをすんなり受け入れる気はないのですが、たしかに"条例"の他の部分や他の法令等を探してみても、"ドッグランではノーリードが許可されている"条項が見当たらないのです。
にもかかわらず、東京都には公設ドッグランが20ほども存在します。このページの"区立公園等におけるドッグラン設置の基本的考え方"という資料は、東京のドッグラン事情を知る材料にはなりますが、やはりドッグランの法的位置付けについては述べられていません。
この資料中には、"ドッグランを設置することにより、一般の利用との棲み分けが行われ、... 飼い主以外の公園利用者もより快適に利用できるようになります。"という効果が書かれています。また、"犬を連れていない人の入場"を禁止する規約もあるらしいことが記載されています。
つまり公設ドッグランは、池に張り巡らされたフェンスと全く同じ位置付けにおかれているということなのでしょう。一般の方が"危険な物"に近づかないように、"行政は適切な管理をしています"というアピールじゃないかと疑ってしまうのは、私がどうしようもない"ひねくれ者"だからでしょうか?
(法的拘束力をもたない)ガイドラインではありますが、"東京都動物愛護管理推進計画"には "人と動物との調和のとれた共生社会の実現に向けて"という副題が付けられています。先の記事でも説明しましたが、これは国の"基本指針"を受けた重要な文書であり、他の都道府県の"推進計画"の中でも "人と動物が調和し共生する社会"といった目標が掲げられています。
犬連れの方とそうでない方を隔離して"棲み分け"をおこなうのが"共生する社会"とは、私には到底思えないのですが...
2013年03月01日
ドッグランの謎
posted by Tosh at 08:44| Comment(9)
| 雑記帳
えーと、お話したい事が沢山あり過ぎて、どう書いたら良いのか、どこから書いたら良いのか?
先ずは都条例ですね・・・この内容の矛盾さ!理解不能なのは私だけでは無かった様で・・(笑)
また英国訪問の際の画像も文章も拝見致しました。う〜ん・・・別のカルチャーショックで・・・
私が行ってた時には、犬は飼い主にぴったりと寄り添って歩いていましたよ。懐かしい場所ではありましたが、かなり人々と犬達の様子が違います。また、私の時にはリードの装着の看板すらありませんでした・・・
余りにも行儀の良い犬ばかりでしたので、片っぱしから飼い主さん達に聞いてみました。「何故、あなたの犬達(多頭飼育が多かった)はこんなにもマナーが良いのですか?」と。
回答はどの方も「良いブリーダーを選び、良いトレーナーから学べ。犬をきちんと躾られないならばあなた自身のマナーを笑われるのだ」ど。
ファルパパさんの画像だけを見ますと、あれだけの散策される人が居るのであれば、犬はもっと飼い主に近付いていないとならないと思います。離したいならば、殆ど人が居ない場所を選ぶべきですね・・・
ベルリンでも同じ状態の様ですが、人込みでオフリードにするならば、脚側は必須です。これじゃあ「囲われる」のも致し方ないかと。
私が居た時には、チューブ以外は犬はタクシーにも乗れましたし度々見て居ます。レストランもショップも入れない場所を探すのが難しかった位です。それなのに、看板が出来た、交通機関も使えないと言うのは他ならぬ「飼い主のマナーの著しい低下」に尽きるのではないでしょうか?
スタッフォードシャーテリアは指定犬になりましたよね。それでも「以前」の飼い主ならば、十分に訓練が可能だったはずです。イギリス人はテリアが好きですし・・
乱繁殖の問題と共に飼い主側が安易に買った、と言う結果でしょう。乱繁殖に関しては、個人的にお話したい事があります。もし、お時間のある時にでも今回のアドレスに御一報をお願いできますでしょうか?
ファルパパさん、ママさんが訪れたイギリスでのレスキュー施設やベルリンのティアハイム・・・普通の方でしたら、「さすがは犬の先進国!」と評価するのでしょうが、私の場合は「犬の先進国なら、何故、このような場所に持ち込まれる犬猫が居るのか?」と別の方面から憤りを感じます。
立派な血統書がなくても、良く言う事を聞いてくれる犬ならば、飼い主は絶対に放しませんし、万が一、自分に何かあった場合でも里親は直ぐに見つけられるでしょう。殺処分が無い国なら先進国なのでしょうか?それで犬は幸せになるのでしょうか?いいえ、犬は飼い主が首輪を外したその瞬間から「ただ息をしているだけの動物」となるのだと私は思います。
ネオテニーのお話にも被さりますが、犬は人間、大好きな飼い主から放されては生きていけません。飼い主に一生依存しないと生きていけないんです。
それを安易に飼ってしまう。犬の図鑑を見るとどの犬種も楽々飼えてしまう様に書かれています。ショップでも良い事しか言いません。これが、車やパソコンを買う時には大抵の方がスペックを比較したり、価格を見たり、カタログをどっさり貰ってきたりと時間をかけて比較検討なさるはずなのに、こと動物となると、「目が合った!運命の出会い!」と車やパソコンなどより遥かに長い時間を過ごすものをどうして衝動買いをするのか・・・
今の犬達は本来の仕事を失ってしまいました。ですから退屈で問題行動を起こすし、人間側が適切な扱いが解らない為にα化させてしまいます。では、何でそれを補うか?訓練しかないでしょう。
飼い主を犬が目標に向かって何かをする、飼い主も真剣、犬も頭を使います。それを成し遂げた時の喜びったら!
例え「座れ」でもいいんです。いついかなる時でも飼い主が命じたら座る。立派な訓練です。
大型犬だから一時間の散歩が必要だ、そうでないと、犬は不満で問題行動を起こす、と良く言われますが、私は仕事柄、一日に散歩は30分しか行けません。それも毎日ではないです。でも、家の中でチョコチョコ簡単な訓練をしたり、ボールを探させたり、と頭を使わせてやると不満ではあるでしょうけど、反抗的になる事は絶対に無いですね。
だらだらと何を言いたいのか・・・私も書いててごちゃごちゃしてきました(笑)
つまりは、飼い主側の意識が高くないと、犬は飼い切れない、と言う事です。結果、オフリードなんて夢のまた夢、囲われた場所でしか遊ばせられない(個人的にはランと言う場所は躾の出来ない犬が集まる場所だと認識しています)街には立て札ばかり、保護犬は無くならない(飼い主に有事が有る場合は別です)となるのでしょう。
で、訳の解らない条例が幅を利かせる、となるのだと思います。
今日は携帯から失礼しますね…
続きを書かせて下さいませ。
ハチ公のエピソード、昔はどこの家も開放的でしたよね?縁側が社交場となり、ひょっこり紛れ込んできた野良犬にカステラの切り端を投げてやったり、どこかの家の軒下で犬猫がお産したりすると近所の人達に貰われたり…我が家も八年前に土地区画整理に引っかかって現在の地に引っ越したんですけど、やはり以前の家が遥かに良かったです…直ぐ裏には土手が有り、川が流れていました。冬には川風が吹いて厳しい寒さでしたし、大雪で二階の窓から出入りしなきゃならなかった時もありましたけど、倉庫の横には苔が綺麗に生えて、杉の木が成り、鶏を放し飼いにしてました…
今の家は流行りのオール電化です。確かに暖かいし、水道が凍る心配も無いのですが、隣は大きな銀行、向かいは消防本部が有り、家の窓やサッシを開け放そうものなら外から丸見えになってしまいます…
現在のお宅はどこも同じですよね?分譲地に同じ様な箱型の家がビッシリと…
囲われているのは人間の方です…
ご近所さんとのお付き合いも希薄だし、子供の泣き声や遊び方にも目くじらを立てる人々…
異常なまでの「清潔さ」に拘り、子供が産まれたら犬は保健所行き…ズーノーシスや毛のアレルギーが怖いんですと!うちの子供達は幼い頃、気管支喘息でしたが、私は動物達を放しませんでした。ドクターには叱られましたけど、私には子供も動物も共存出来る!と信じていたからです。その代わり、子供には毎日乾布摩擦をし、裸足で土手を走らせ、パンツ一枚で川に入らせ、泥遊びをさせました。今はもう大人になりましたが、冬は相変わらず裸足に半袖で、我々大人達がもっこり着込んでるのをバカにした様な顔で見ています…風邪を最後にひいたのがいつだったかもう覚えてないですね…片や、動物を排除し、清潔そのもので子育てをした知り合いのお子さん達は喘息を克服出来ず、アレルギーは更に酷く、不登校やニートになった子も多いです…
長々と自分の事を書いてごめんなさい…私のやり方が正しいとは決して言えませんが一つの例として…
世の中は年々、閉鎖的になり暮らしにくくなってきました。囲われた清潔な牢獄みたいな美しい家の中では、人々は孤独感を増すばかりです。そんな中での子育てや動物の飼育が本当に上手くやれるのか…
益々 臭い物には蓋状態が増えると思います。日本は病んでいます。
犬飼いにとってスルーできないテーマを詳細な記事にしていただいて、大変勉強になりました。
個人的には、法律の根拠に関わらず「犬の○○禁止」を見たらその敷地を管理する方々の運営管理の負担にならないようにするのが、犬飼いとしての社会的なあり方と思っています。今以上に犬嫌いが増えて「犬禁止」エリアが増えるのは避けたいので。
私は幼少期、半径1キロに人家がないようなど田舎で犬を放し飼いにして暮らしてました。今でも実家では野生動物の侵入を防ぐ役目で犬が自由に敷地内を徘徊しています(敷地外の山林は猪罠が仕掛けてある可能性があるので怖いですし)。
現在私は大都会のど真ん中で犬を飼っているのですが、一時的にでもノーリードが許されないと感じています。それは、犬を制御できるできないに関わらず他人への影響が大きすぎるからです。
外国人も多く住んでいるので、雑踏の中をスタイリッシュな大型犬がノーリード脚側で歩いている姿もよく目にします。しかし、側脚でも問題がないとは思いません。日本ではそれだけでは他人への配慮が足りないと思うからです。
街中でのノーリードが許容されるヨーロッパの一部の国では、周囲の人も犬に無関心でいられるくらいに生活に犬が入り込んでいます。しかし、日本はそうではありません。犬を見たら触りたい人だらけです。それだけ犬が非日常な存在であり、特別に見られる物だと感じています。なので、犬をかわいがりたがる人も怖がる人も多いし、犬を連れている人を特別視する人も多いようです。
実際、私が普通に散歩していても、何度も声をかけられたり犬へ手が伸ばされます。子供達は犬を見て叫ぶし追いかけます。犬は構ってやれば撫でてやれば喜ぶと信じている人がものすごく多いのです。犬を店前に繋いでちょっと買い物なんて到底無理。放置してたら犬の周りに人だかりが出来ますもの。
同時に、日本国内では放置フン問題と一時的なノーリード問題は切り離せないものになっています。確かに2キロ程度の超小型犬が噛んだところで人命に関わる怪我にならないのは確かでしょうが、そんな犬が街灯で明るい真夜中の遊歩道をノーリードでチョロチョロ走り回って放置フン問題を引き起こしているのが都会の現状です。清掃前の朝の遊歩道は放置フンだらけです。
他にも人気のない公園がいつしかノーリード犬の遊び場になり、地域住民参加の清掃イベントで放置糞があちこちで発見されて問題となり(本当は野良猫の糞も多いんだけど)、次に行った時は犬NGの看板が立てられていたり。
長々と書きましたが、都会で暮らす以上はそういったこともあり、これ以上犬が暮らす環境を悪くしたくないので、私個人としては一時的なノーリードさえ認めない立場です。
同時に、犬の飼育については、都会でも日常的に自由散歩ができるよう犬の動きを束縛しないリード使いと社会化促進に力を入れています。犬同士の挨拶も飼い主がリードで邪魔しなければ良いってだけの話ですものね。
自分の犬とは、ノーリードでもオンリードでもさほど変わらない散歩スタイルを取っています。街中でも山中でも、誰からもとやかく言われず自由にオンリードで散歩できるという点で日本の実情に合った飼育方法だと思っています。
時間をかけてのコメント、ありがとうございます。
昨日の早朝から出かけており、先ほど帰宅したところです。
今夜はちょっと疲れていて、きちんとしたお返事ができそうにありません。申し訳ありません。
明日、必ずコメントをお返しいたしますので、今しばらくお時間をください。
なお、オフリードをめぐる問題については、まだ法令等についての"通説"に対して問題提起をした段階で、私自身の考えについてはまだほとんど書けていません。お返事の一部を今後の記事に先送りすることもあるかもしれませんが、どうぞご了承くださいね。
いろんな面からコメントをいただいたので、私の方も何からお返事して良いのやら...(汗)
"犬は飼い主にぴったりと寄り添って歩いていた"ってのは、ケンジントン・ガーデンズ(&ハイド・パーク)のお話でしょうか?
ベルリンの街中については私はテレビ番組を観ただけなのでよくわかりませんが、ケンジントン・ガーデンズに関して言えば、そんなに人混みというほどではありませんでした。ただ、そこら中に犬連れではない散策者(通行人)がおられたのは確かですが。
いただいたコメントからは、脚側歩行以外で(比較的自由に)オフリードにできるのは、ほとんど人がいない場所であるべきとお考えをお持ちのようですね。
この点に関しては、私は全く違う考えを持っています。ロンドンの公園で驚かされたのは、犬に与えられた自由度の高さと、節度ある行動でした。前の記事のコメントで"どのワンコ達も他の犬達を気にしない"と書いておられましたが、私が訪問した時には、すれ違う際にちょっとだけ挨拶し合う(あるいは少しの間一緒に走り回る)なんていうシーンが多かったです。犬が飼い主さん以外にすり寄っていく(興味を持つ)というのは見かけませんでしたが、飼い主さん以外の方が通りかかった犬にちょっと手を伸ばす(親愛の情を示す程度)のは目撃しました。
こういった犬も人も構えることなく自然に振る舞っていてリラックスしている様子に私は心を打たれたわけで、もしも皆さんがヒールポジションで犬を歩かせておられたら、羨ましいとは思わなかったはずです。
それと、"リードの装着の看板"とは言っても、ごくごく一部のエリアだけですよ。あと、"交通機関も使えない"とは私は書いていません。あまり人混みの中に犬を連れて行くこと自体を上品ではないと考える(マナー)もあるようだというだけです。ロンドンでは世界中の大都市と同様に、放置糞の問題は浮上しているようですが、"飼い主のマナーの著しい低下"を理由として規制が増えたという話は私は知りません。
もう一つ、いわゆるスタッフィー(スタッフォードシャー・ブル・テリア)は危険犬に指定はされていません。(詳しくないので私には区別が付かないと思いますが) ピット・ブル(アメリカン・スタッフォードシャーなど)は違法ですが、スタッフィー自体は今でもイギリスの人気犬種のはずです。
ただ、ヤンチャな若者に好まれたり、闇の闘犬市場があったりという話を見かけたことはあります。その辺りのニュアンスを込めて、以前の(Batterseaに触れた)記事では"ある意味で悪名高い犬達"と書いたのですが、ちょっと乱暴な表現だったかもしれないとも思っています。
犬の保護施設に収容される犬がいなくなって欲しいというのは、犬を愛する人にとっては当たり前の思いですよね。ただ、イギリスやドイツだって適正飼養できる人ばかりではないのでしょう。少なくとも日本やアメリカのように飼えなくなった(場合によっては飽きた)からという理由で放棄される犬の数はずいぶん少ないと思いますが、不適切な飼い方をされている状況からレスキューされる犬というのは、いくら犬先進国だからと言ってもなかなか0にはならないと思います。その犬達をどのようにリホームしていくかということこそが、犬文化の成熟度なんじゃないかというのが私の考えです。
今の日本の都市、あるいは外国においても大都市は、犬どころか人間にとっても暮らしやすい環境からはどんどん離れているんじゃないかというのは、私も同感です。# だからこそ、私は自然の豊かな山の中の街を選んで暮らしているわけです。
そういった緊張感を強いる環境下では、人も犬も大らかさを保ちにくいのかもしれませんね。ハチ公のエピソードは、単に人口密度や交通量の問題だけでなく、ストレスの少ない時代には、人は他者に対して優しく接することができたということを教えているのかもしれませんね。
以前に一度コメントいただいてから、ブログをチェックさせていただいておりました。ですから、昨年の9月に書かれたノーリードの話題は読ませていただいております。
コメントを残そうかとも悩んだのですが、(他の記事も含めてですが)"柴犬を..."というタイトルを付けておられるのと、たくさんの他の方のコメントも"仲良しクラブ"的で、こんなところに出しゃばっても嫌な思いをするだけだと気付いて控えさせていただいた次第です。
あの2つの記事については、かなり思うところがありますが、私のブログとは直接関係がないので、あの記事(およびコメント)中での表現については触れないことにしますね。
さて、"今以上に犬嫌いが増えて「犬禁止」エリアが増えるのは避けたい" ので "一時的なノーリードさえ認めない" とのことですが、心の底から"ノーリード"が犬嫌いを増やしているとお考えなのでしょうか?
いろんな自治体、あるいは国がまとめた犬に関する苦情を調べてみると、ほぼ共通してトップ2は放置糞と鳴き声の問題です。アンケートの取り方によっては、"放し飼い"が3番目に来る場合もあるようですが、圏外に落ちる地方自治体もあります。
行政へのクレームを見る限り、"オフリード"よりも他に"犬嫌い"を作っている原因が大きいのだろうと私には思えるのですが...
"日本国内では放置フン問題と一時的なノーリード問題は切り離せない"と書いておられますが、本来は異なる事象をいっしょくたに論じるのはいかがなものかと思います。
"超小型犬が...ノーリードでチョロチョロ走り回って放置フン問題を引き起こしている"のであれば、非難されるべきは、イイカゲンな心がけで超小型犬を飼っている人間であって、日本中の"オフリード"に責任を転嫁するべきではないと考えます。
たとえ小型犬であっても、首をリードで宙吊りにされながらもギャン吠えしているのを見ると、犬好きである私でさえ嫌な気分になりますから、(たとえ短いリードを着けていたとしても)こういった光景が犬(と犬飼い)の印象を悪くしているんじゃないかと思っています。
また、"犬が怖い"と主張する人にとっては、3mの長いリード(普段は1mくらいに手繰って使っていたとしても)を持っているだけで、非難の対象となることがあるのもご存知だと思います。
犬どうしのコミュニケーションに関するリードの弊害はご存知のようですし、社会化促進という言葉も書かれていますので、今の都会の犬を取り巻く別の問題についても、くまごろーさんは実はよくご存知じゃないのかと想像しております。
"犬嫌い"を減らすためには、犬が一緒にいても平気 -> 犬が一緒にいると心地よい といったことを体験する機会(あるいは教育)を増やしていく必要があると私は考えています。
"リードに繋がれているなら犬は平気"や "犬はドッグランに隔離されていればOK"といった後ろ向きの考えをしていても、犬を取り巻く環境は良くならないのではないでしょうか?
とりとめの無いコメントに丁寧なお返事をありがとうございました。
そうですね…当時はパーク内は勿論、街中でも飼い主は他の人が来たらヒールポジションに犬を付けていましたね。
飼い主のマナーが崩れてきた、と言うのは私のイギリス人の友人のお話からです。でも、これも十年程前の話ですし(この方は入院されて、それ以来音信不通となりました…残念です)増してや私がイギリスに居たのはかれこれ30年前ですから、私の考え方は既に古いのでしょうね…
私の一番年上のお友達に87歳になられる秋田犬のブリーダーさんがいらっしゃいます。去年、大館展覧会にて幼犬成犬共に日本一を射止められました!散歩の途中に犬舎があるのですが、初めてお会いした際に、私がきなこを脚側停座させてすれ違おうとしましたら「正しい。誠に正しい扱いをしてる。体の作り方も適切だし、ストレスの無い顔をしている」とお褒め頂きました。良くうかがうと、その方は県内で初めての訓練士さんであり、軍犬を多く手掛けていらしたそうです…。展覧会に向けて身体を作る為にしばしば自転車引きをされてますが、やはりピタリと紐付き脚側歩行をされてますし、ご自分の犬は他犬に決して近づける事はされません。お互いに土手に座りながら、また犬舎でお話させて頂いてますが、お互いの犬はやはりそれぞれの飼い主の左に付けて伏せてます。
唯一、そこの犬舎の幼犬の遊び相手としてきなこを使ってくれてますね(社会化の為にですね)百万もするわんちゃんのお相手ですから飼い主の私が冷や汗ものですが…
くまごろーさんのお話にも繋がるかと思いますが、飼い主のバックグラウンドに因り飼い方は変えるしかないのだと思います…私の場合は訓練が好きなのと、老舗の自営業である事(万が一お客様に何かあったら我が家は潰れます)人通りの多い場所に住んでる事、主人がアチコチの営業先で噛まれて超犬嫌い…となると幾ら注意してもし過ぎる事は無いと思います。
ですが、人の来ない場所で思い切り走らせる時はやはり爽快ですよ!
あ、スタッフォードシャーテリアを含む4犬種の指定犬扱いはドイツでの話でした。それに反論した獣医師達等の努力でドイツでは当該犬種の飼い主には飼い主検定が設けられました。紛らわしい書き方をして申し訳ありませんでした。確か他の国でも指定犬としてたのでイギリスもかなと…違うのですね。分かりました。ありがとうございます。
山の中で人にも犬にも会わないようなとこでノーリードするなとは言いませんけど。ノーリード肯定と主張されるのであればノーリードにするのならトレーニングしてからが必須と啓発のほうがいいんじゃないかなーと思います。ノーリード肯定されてる方はその辺りを省いてるような気がするのですがいかがでしょうか?
放し飼い禁止と記載されています。