2013年03月21日

ナットの宿題

二年前の今頃、ナットはどんな気持ちでいたのでしょう。あんなにも人間が好きな犬が、元のご家族に突然置き去りにされた時に感じたであろう不安、そしてもちろん、元の飼い主さんのお気持ちを想像すると、今も胸が張り裂けそうになります。

東日本大震災から二年。
津波に押し流された町のガレキはほぼなくなったようですが、一向に進まない復興への道のり。福島の原発事故にいたっては、まだ被災は現在進行形です。長い冬が終わって、少しずつでも春が近づいていることを実感できるといいのですが...

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ナットを亡くしてから、人と犬の関係作りについて私は何をするべきだろうと考え始めました。"絆を結んだ"ナットに対する私の"責任"のありようを探していたと言えるかもしれません。

以前からこんなような世の中になったら良いのにと考えてきたことはありますが、あらためてそれらを整理してみる中で形になったコンセプトは、"大災害等が起こった際に、当たり前のように犬達と一緒に避難生活できる社会"ということでした。

いわゆる同行避難は、阪神淡路大震災の際にクローズアップされ、新潟中越地震等の災害を経て少しずつ日本人の意識の中に浸透しつつあったのかと思います。東京都などでは(獣医師会の働きかけもあって)早い時期から同行避難のルールが作られていたようです。が、福島の原発事故においては、少なくとも一次避難の段階では、それは実現されませんでした。

どうぶつ家族の会の"震災チャリティー大集会"に参加した際に、阿部俊範獣医師から聞いた石巻市の一次避難所の話はとても印象的でした。
震災後数日の避難所でも、ペットと一緒に避難していた部屋には笑顔があったとのこと。極限の状況下においても動物が人の支えになりえるというのは、昨今では肩身の狭い思いを強いられることが多い犬飼いにしてみると、動物は社会の"お荷物"じゃなく、共に生きる社会のメンバなんだと心を強くしたのを思い出します。
正確にはなんと表現されたのか今となっては定かではありませんが、"動物を助けることは人を助けること"といった阿部氏の主張は今も私の心に焼き付いています。

動物に優しい社会というのは、すなわち人に優しい社会に他ならないというのが私の信念になりました。

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ナットの生前から、"もしも同行避難ができていたら..."ということに何度も思いを馳せました。
が、いろいろ考えてみると、ナットの性格(行動パターン)では難しい局面が出てきただろうなと思います。

一ヶ月弱の放浪を経験する中で大きな心的外傷を負っていたようなので、震災前のナットがどんな犬だったかはよくわかりません。
が、(リードが足に絡んだ時の慣れた捌き方から)繋ぎ飼いであったろうこと、(家の中に入れた際の異常な興奮から)庭飼いであったろうことはほぼ間違いないと思っています。ウチに来て1年半経ってもファルコ以外の犬とは積極的に遊ぼうとしなかったことを考えると、他犬との触れ合いも希薄だったのかもしれません。
ひとことで言えば、あまり社会化ができていない犬でした。

人間は全て愛する対象でしたが、犬どうしに関しては、簡単に心を許すことはありませんでした。放浪中のなんらかのトラウマかもしれませんが、他の犬(特に小型犬)の警戒心に敏感で、攻撃的なシグナルを見るや吠えてしまう傾向もなかなか治りませんでした。
不安を感じている際のナットの哭き声はかなり甲高かったので、同行避難ができていたとしても、周りの迷惑を考えて一次避難所から出て行かざるをえなかったんじゃないかと思います。

ウチの周りを散歩している際に出会う犬達の中にも、共同の避難生活をおくれるだろうかと心配になる犬がいます。私がそう危惧する犬の多くは小型犬ですが、飼い主さんの足下から離れずに(いわゆる脚側で)歩いているので躾ができているのかと思いきや、犬を見ても人を見ても吠えまくるような子もいるのです。

自治体で作られている同行避難マニュアルなどでは、クレートトレーニングやトイレトレーニングのことが強調されていることが多いようですが、それ以前に、他の犬や人と仲よくできる犬に育てておかないと、一次避難の時点でもトラブルになるのは間違いないでしょう。

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では、社会化はうまくできているんじゃないかと思えるファルコの場合なら、共同の避難生活に問題はないでしょうか?

私から見るとファルは人畜無害の代表のような犬ですが、通りすがりの方が、"大きな犬は怖いねぇ"と子供や小型犬に話しかけているのを何度も聞かされています。遊んでもらえるかもしれない期待でニコニコしながら脚側停座でおとなしくしているにもかかわらずです!
たかが中型犬のレトリバーでさえこうなんですから、デーンやマウンテンドッグのような大型種など何を言われていることやら...

大惨事の最中においても礼儀正しく他者を思いやる態度を保つ日本人の姿は世界中から賞賛を浴びました。これは誇るべき日本人の美徳だと思います。が、避難生活が長引いて(特に先が見えない不安などの)ストレスがたまってくると、最初は我慢できていたこともままならなくなるのは人間として当然かと思います。
動物が苦手な方(その端的な形としての犬嫌いの方)にしてみると、犬が近くにいること自体がストレッサーでしょうから、中型犬以上はおそらく疎まれることが多くなるのではないかと危惧しています。

実際、石巻市でも二次避難所は動物連れができなかった所が多かったようです。阪神淡路大震災の際にも、最初はペット同行が容認されていたものの、時間が経つにつれさまざまな問題が浮上したと聞いています。
今回の被災地では、動物連れが認められている仮設住宅であっても、実際にはご近所さんとのトラブルでペットを他所に預け(続け)なければいけないケースもあるようです。

同行避難マニュアルを見てみると、"動物嫌いやアレルギーを持つ方に配慮しましょう"と記載されていたりしますが、"動物嫌いの方に配慮"というのはどこまでのことが要求されるのか、私にはよくわかりません。
結局今の日本の現状を考えると、動物を飼っている方とそうでない方を分離するという方法しかないのかもしれませんが、非常事態の中でそれを実現するのはかなり困難でしょうし時間もかかることだと思われます。

中型犬以上を連れての避難生活が普通にできるようにするためには、自分の犬をきちんとしつけしておくだけでは不十分で、犬がそばに居ることに抵抗のある方を減らしていくしかないだろうと私は考えています。

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"当たり前のように犬達と一緒に避難生活できる"ということを考えていく中で、犬側の問題と人側の問題が明らかになってきました。

犬の社会化(健全な成長)と、犬が居ることに人間が慣れていること。今の日本では、この二つの課題は非常に大きな壁だと感じられます。

が、ヨーロッパ諸国においては両方ともクリアされているように見受けられるわけです。もしも大災害が起きた場合でも、犬が社会の中に溶け込んでいる彼の国々では、避難生活もスムーズにいくような気がしてなりません。

東京都などでは、被災時には同行避難するよう呼びかけて(マニュアル化も進んで)いる一方で、犬を危険物と同列に扱ったり、ドッグランに隔離するという政策を進めているように見受けられます。犬を非日常な存在に追いやっておいて、同行避難がうまくいくのでしょうか?

日本とヨーロッパ諸国、いったい何が異なるのでしょうか? そしてその違いは埋められないものなのでしょうか?

先月からのオフリードに関する記事群というのは、こういった流れの中で書き留めておきたいと考えるに至ったものだったのです。

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今回の記事を書きかけてから10日以上が経ってしまいました。
文章をまとめられなかった主な理由は、花粉症(+黄砂)で体調がすぐれなかったのと仕事が少し忙しかったことです。が、大震災からちょうど二年という時期に、今なお仮設住宅で不自由な生活をされている方々がたくさんおられる状況下で、犬と人の共存の話題にばかり熱心なのは不謹慎なんじゃないかと悩んだ側面があったことも事実です。

私は被災地にボランティアに出かけることもしませんでしたし、直接的な復興支援と言えることは何もできていません。ナットと暮らした時間だけが、私にとって大災害を実感させてくれるものです。
ナットが残した宿題に取り組むことは、今回の被災者の方々には何の役にも立たないでしょう。しかし、それを後ろめたいことと思いたくはありません。いつまた起こるかもしれない次の災害時に、何か貢献できるかもしれないと信じて、私は自分が一所懸命になれることに向き合うだけです。
posted by Tosh at 23:59| Comment(2) | 雑記帳
この記事へのコメント
同感です。

例えばボランティア活動にしても、何かに問題意識をもって取り組む事でも、「すべき」だからではなく、自らが「したい」と臨むことこそ、本来あるべき出発点だと考えます。
全体にとっては小さく間接的な事でも、必ず全体に繋がり、何らかの貢献になるに違いありません。


又、動物の問題についての議論は、人の問題を解決してからされるべきであって後回しは致し方ないと言われることが多いですが、動物であれ、命を軽視する社会は、人にも優しくない社会を映すことになります。

その逆に、おっしゃるように、「動物に優しい社会というのは、すなわち人に優しい社会に他ならない」のは間違いありませんね。

Posted by ヴィオラママ at 2013年03月28日 00:41
ヴィオラママさん、
返事が遅くなってすみません。
同じように考えておられるとのこと、心強く感じます。私は"口ばっかり"ですけど、ヴィオラママさんは、以前から実践をされているわけですものね!

自分勝手な思い入れ、誤った知識に基づく判断などによって、(善意の努力であっても)結果的に求めている未来を遠ざけることがあることを怖いと感じています。特に情報の拡散速度が早くなったこのネット社会においては。
が、客観的な情報をできるだけ冷静に判断したら、あとは自分が信じることを実行するしか道は拓けませんよね。
Cool head, hot heart.
Posted by Tosh at 2013年03月28日 23:02
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