ちょっと恥ずかしい文章なんですが、毎年参加しているイベント(のガイドブック)に2006年に寄稿したものを、使った写真も含めてそのままの形で掲載してみます。
ターニング・ポイント 昔観た映画のワンシーン、あるいは過去に読んだ小説のイメージが、唐突に思い出されて戸惑うことがある。8年前、40歳を目前にした僕にとっては、"プールサイド"という小説がそうだった。35歳を人生の"ターニング・ポイント"と自ら定めた男性が主人公の村上春樹さんの短編である。そのテーマとぴったり重なるわけではないが、"折り返し点"のイメージだけは、老いつつある自身に対する焦燥感として、僕の心の中にしっかりと根を下ろしてしまったようだった。 ![]() 30代、コンピュータソフトウェアの零細企業。波にもまれるように仕事中心の生活を続け、ふと気が付くと、いつの間にか中年と呼ばれる年齢が迫っていた。38歳の冬には、殺風景な都心から逃げ出すように、自然の残る郊外に転居した。デジタルな世界への反動だろうか、生き物のように自己主張する機械や道具にどんどん惹かれていく。流れる時間を身勝手にカチカチ切り刻むクォーツの秒針には我慢できなくなっていた。ライターは昔からオイル派だ。そして、"自動車"ではない"クルマ"。 そう、学生の頃から英国車に憧れていた。Lotus Elan。就職してからは、ガレージを手に入れ MG-Bあたりを週末にいじる生活を夢想していた。だが一方で、借金だらけで賃貸住まいの僕には、それは千年も先のことだろうと諦めかけてもいた頃だった・・・ ![]() 自分と同い年 1959年に作られたクルマと暮らそう。無謀にもそう決意した僕は、MG-A, TR-3A, Austin-Healey 3000 Mk1を候補に相方探しをスタートする。誕生日が過ぎても見合いは失敗続きで、そう簡単には見つからないと悟り始めた頃。ネットでたまたま見つけた旧車専門店のWebページ、入庫したばかりの"Austin-Healey 100 (1955年)"の姿が目に飛び込んできた。 早速、週末に2時間余りの道のりを山奥のガレージに駆けつける。大きい方のヒーリーを直に見るのは初めて。さらに告白すると、100と3000のシリーズの違いも、ウィンドウスクリーンが寝るのが4気筒版だけであることも、実は知らなかった。赤い100は、低く美しいシルエットだった。シンプルなインパネも好ましい。なにより、スクリーンを倒した姿、とりわけ斜め後ろからの魅惑的なビューに、僕は完全に悩殺されてしまった。それでも、予算オーバーや 1959年製でないことが気になって、ガレージのオヤジと話をするだけで後ろ髪を引かれながらも帰路に着いた。 次の土曜日、いそいそと二回目の見合いに出かけていく。またスクリーンを倒していただき、ロクにわからないくせにボディ周りを眺め、何時間か話し込んだあげく、"もう一週間考えさせて欲しい“とまだ悩んでいた。 ![]() 明くる日曜日、僕は所用で阪神高速を乗用車で走っていた。あるコーナーを曲がった時、とても小さなスポーツカーのお尻が遠くに見えた。追いかける。次のコーナーを抜けた時、バンパーレスに流れるラインはカニ目に思えた。近づいてくる。違う・・・大きい方だ! White on Blackのそいつは、まぎれもなく Austin-Healeyの100か3000だった。並ぶ。幌を立てたコクピットの中、男性が見えた。だが、そこで時間切れ。彼は直進し、僕は環状線へと大きく右に進路を変えるレーンにいた。分岐の直前でアクセルを開けて、抜きざまに振り返る。扇形のグリル、ルーバーを切ったボンネットフード。100Mだった! コーナーを曲がり終えた後も、心臓はバクバクし続けていた。もう迷う必要はない。今、僕はターニング・ポイントを折り返したんだ。 ![]() それまでの半年余り、焦り、苛立っていた気持ちは、新しい伴侶と暮らし始めることを受け入れた瞬間に、すっかり消えていたように思う。次の週末、僕はまた山奥のガレージに向かい、落ち着いた気持ちで契約を交わした。後日、件の100Mは隣町に住むMさんだったことが判明する。全く意識せずに最後の一押しをしてくれた彼もまた、100の仲間を探していたんだそうだ。 こうして僕は無事に40歳を越えることになった。"プールサイド"の彼はターンの後に涙を流したようだが、僕は今も笑っている。うん、幸せなことだ。 |
前にも少し書いたのですが、今年の目標は、ファルをこのクルマ好きにして、あわよくばナビゲータとしてイベントに連れ出すことなんです。

