2013年01月19日

星の王子さま

昨年末、昔から持っているある本を急に読み返したくなりました。
学生時代から、狭い住処を圧迫しないためと、読書好きの母が愉しむかもしれないと、読み終わった小説等はほとんど実家に置くようにしてきました。なので、あの本を読み直したいと思っても、手許にないものがほとんど。すぐに取りに行けそうにない場合には新たに購入するということも時々あります。

が、たしか小学5年生のクリスマスにサンタさんからもらったその本だけは、今の家にも持ってきたはずと探してみると... やっぱりありました。

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サン=テグジュペリの"星の王子さま"。
# 全国学校図書館協議会選定の必読図書というシールが妙に懐かしいんですが、今でもこのシールを使っているのかなぁ...

熱烈なファンというわけでもありませんし、めったに読み返すことなどないのですが、なぜかこの本一冊だけは、40数年の時を経てもいつでも手の届く所に置いておきたいと感じてきたのです。

もともと記憶力には自信の無い私、最初に読んだ時のことはあまり覚えていません。なんとなく、ウワバミやバオバブ、そして"一ばん上できの"王子さまの挿絵が印象に残っていた記憶がかすかにある程度です。

この本を"再発見"したのは高校生になってから。デートで観に行ったミュージカル仕立ての映画"星の王子さま"。本のイメージとずいぶん違っていたこともあって、本棚から引っ張り出して読み直してみました。

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当初、私が惹かれたのは、王子さまが星に残してきたバラとの関係。

「だから、ぼくは、どんなことになっても、花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。ずるそうなふるまいはしているけど、根は、やさしいんだということをくみとらなきゃいけなかったんだ。花のすることったら、ほんとにとんちんかんなんだから。だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、あの花を愛するってことがわからなかったんだ」
(岩波書店版 内藤濯訳「星の王子さま」 p.42-43より引用)

「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなきゃいけないんだよ、バラの花との約束をね……」と、キツネがいいました。
(岩波書店版 内藤濯訳「星の王子さま」 p.99より引用)

でも、その時には、この本の大事な部分を心の底から感じ取れていなかったのかもしれません。なにせ、私はまだ大きな別れを知らない頃でしたから。

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本当にこの本が好きになったのは、失恋や親しい人の死を経験してからのような気がします。

「だけど、あんたのその金色の髪は美しいなあ。あんたがおれと仲よくしてくれたら、おれにゃ、そいつが、すばらしいものに見えるだろう。金色の麦をみると、あんたを思い出すだろうな。それに、麦を吹く風の音も、おれにゃうれしいだろうな……」
(岩波書店版 内藤濯訳「星の王子さま」 p.92-94より引用)

「でも、きみは、泣いちゃうんだろ!」と、王子さまがいいました。
「そりゃ、そうだ」と、キツネがいいました。
「じゃ、なんにもいいことはないじゃないか」
「いや、ある。麦ばたけの色が、あるからね」

(岩波書店版 内藤濯訳「星の王子さま」 p.97より引用)

星を眺めるのが好きになった私が、一番お気に入りになったのはキツネと心を通い合わせる箇所。

その一方で、"飼いならす"というのは"仲よくなる"という部分は、原文ではどうなっているんだろうという疑問も感じ始めました。読み込むほどに、ところどころにしっくりこない日本語も見受けられたからです。


読み返すたびに、それまでは見落としていた(流し読みしてしまっていた)大切なことに新たに気付かせてくれるこの本。今回は、最後の方に出てくる井戸の水の部分に心惹かれました。

「ぼく、その水がほしいな。のましてくれない?……」
ぼくは、王子さまがなにをさがしていたのか、わかりました。

(岩波書店版 内藤濯訳「星の王子さま」 p.109より引用)

「ね、とてもいいことなんだよ。ぼくも星をながめるんだ。星がみんな、井戸になって、さびついた車がついているんだ。そして、ぼくにいくらでも、水をのましてくれるんだ」
(岩波書店版 内藤濯訳「星の王子さま」 p.124より引用)

王子さまが探していたものが何だったのかについて、私もようやく気が付くことができたように思います。

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今月になって、"星の王子さま"について記事を書こうかと思い始めてから、ちょっと検索をしてみて驚きました。2005年に独占的な翻訳権が切れたことにより、多くの出版社から新訳が出されていたのですね。
# ついでに書いちゃうと、ちょうど先月にNHKの"100分 de 名著"という番組で取り上げられていたことも知りませんでした。こちらはすぐにNHKネットクラブの再放送ウォッチ!に登録しました。

とりあえず一冊、新訳本も読んでみようと手に入れたのは新潮文庫のもの(右)。こなれた日本語になっていて好感が持てました。
気になっていたキツネとの"飼いならす"部分の会話はこんな感じ。

「『なつく』って、どういうこと?」
「ずいぶん忘れられてしまってることだ」キツネは言った。「それはね。『絆を結ぶ』ということだよ……」

(新潮文庫版 河野万里子訳「星の王子さま」 p.99より引用)

"仲よくなる"よりも"絆を結ぶ"という方が、文脈的にしっくりきます。
そして、"バラとの約束"ってなんだったっけ?と疑問に感じていた部分には、"約束"の文字はありませんでした。

「人間たちは、こういう真理を忘れてしまった」キツネは言った。「でも、きみは忘れちゃいけない。きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ。きみは、きみのバラに、責任がある……」
(新潮文庫版 河野万里子訳「星の王子さま」 p.109より引用)


調子に乗って、"Le Petit Prince"の日本語版の誤訳についてまとめた"憂い顔の『星の王子さま』"(左)も読んでみました。
かなり攻撃的(挑戦的)な書籍ですが、著者 加藤晴久氏のフランス語と"Le Petit Prince"に対する深い愛情が感じられるとともに、"星の王子さま"の原文のイメージを理解するにはとても役に立つ本だと思います。

加藤氏の見解によると、河野万里子氏の訳は、内藤濯氏のものよりも原文にかなり正確なようです。# "飼いならす"に関しては、"なつく"よりもニュアンスが伝わっているそうですが。
が、共に重要なシーンで誤訳をしてしまっている箇所もあるようです。

僕は水を飲んだ。ようやく息がらくになった。夜明けを迎えると、砂は蜜の色に染まる。その色もまた、僕を満ちたりた気持ちにしてくれた。どうしてあんなにあれこれ苦労する必要があっただろう……
(新潮文庫版 河野万里子訳「星の王子さま」 p.122より引用)

上の引用部の最後の文は、本来は "なのにどうして、悲しみもまた感じたのだろう……"というような訳であるべきだそうです。10数冊の新訳本の中でも、この部分を正しく伝えているものは少ないようですね。
その後の展開を考えると、ダイナミックな転換点を示すキーセンテンスだったのに、それが間違っているというのはとても残念なことです。

もっとも、(誤訳や不適切な訳が多い)岩波書店版であっても、読み手は全体を通して"星の王子さま"の主要なメッセージを受け取ることができると思います。# 不必要な疑問に悩まされる部分も否めませんけどね。

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「たいせつなことは、目では見えない……」
「そうだね……」
「花のことに似てるな。どこかの星に咲いてる一輪の花を愛していたら、夜空を見あげるのは、心のなごむことだよ。星という星ぜんぶに、花が咲いてるように見える」
「そうだね……」
「水のこととも似てる。きみがぼくに飲ませてくれた水は、音楽みたいだった。滑車が歌って、綱がきしんで……ほら、思い出すでしょ……心にもおいしい水だった」

(新潮文庫版 河野万里子訳「星の王子さま」 p.131より引用)

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そして、王子さまは地球に姿を見せたのと同じこの場所で消えた。

今では少し、悲しみはやわらいだ。つまり……消えたわけではないということだ。でも僕は、王子さまが自分の星に帰っていったことを、ちゃんと知っている。あのあくる朝、夜が明けてみると、王子さまのからだはどこにもなかったのだから。あまり重いからだではなかったし……そうして僕は、夜、星々の笑い声に耳をすますのが、好きになった。ほんとうに、五億もの鈴が、鳴り響いているようだ……
(新潮文庫版 河野万里子訳「星の王子さま」 p.141より引用)

ここがその場所だとわかるようにと、二度も描かれた上の絵には私たちへの強いメッセージを感じます。アフリカの砂漠と書かれてはいますが、これで特定できる場所なんてあるでしょうか?
いや、"心で見れば"、きっと見つかるはずなのです。
テグジュペリは、どんな場所であっても、"ここがそうだ"と思えるように、こんな普遍的な情景を描いたに違いありません。

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そう、こんな場所であっても良いはずだと思うわけです。

そして、私は夜空を見上げて、星が、私の王子さまが、鈴のように笑っていると感じることができるのです。

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posted by Tosh at 23:59| Comment(2) | 雑記帳

2013年01月30日

遥けきユーコン

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雪遊び遠征から帰宅した夜に降り始めた雪は、月曜朝までに3cmあまり積もりました。麓の街でも積雪したことを考えると、その量はかなり少なかったのですが、サラサラの良い雪。昨日の朝までは、踏むとキュッキュッと鳴いて靴底が微妙に滑る感触が楽しめました。

今回は、そんなショボい雪じゃなく、高緯度地方の"犬ぞり"に関する話題。
が、その前に、ちょっとだけ寄り道を。

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ユーコン川という名前を明確に意識し始めたのは、野田知佑氏の著作でした。自然の中での犬と暮らすことについて、私にも影響を与えてくれた大切な一冊。残念ながらまだファルコのカヌー犬化計画は進んでいませんし、キャンプも行けずじまい... 今年の夏こそ!

本記事では"そり犬"を中心にしてヨタ話を書こうと思うので、ユーコンに関係した一文を紹介するだけに留めておきますね。

カナダやアラスカでは、人間は力いっぱい頑張らないと生きていけない。これを彼らは「フル・ライフ」と呼んでいるが、ガクにとってもユーコンの生活はフル・ライフであったろう。日本にいる時の何倍も充実していたと思う。そんな自分の犬の姿を見るのは犬を飼う醍醐味だといえる。
(野田知佑著「カヌー犬・ガク」 p.242-243より引用)

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何度か再放送されているのでご覧になった方も多いのではないかと思うのですが、ちょうど一年ほど前に放送されたNHKのドキュメンタリーに心動かされました。「オーロラの犬ぞりレース〜アラスカ1600キロをゆく〜」
Yukon Questという過酷な犬ぞりレースを通して、マッシャー達の人間模様、そして"そり犬"達との関係を描き出した素晴らしい番組でした。

犬ぞりというのは、もっとも原始的な使役犬の一形態とも言われますね。ハスキー、マラミュート等を含む総じてエスキモー犬と呼ばれるプリミティブな犬達を使って、高緯度地方で人間が暮らすことを可能にしてくれた方法。が、エスキモーの方々も最近ではスノーモービルを使うようになり、生活手段としての犬ぞりは姿を消しつつあるとも聞きます。

主に趣味やレジャーとして存続している犬ぞりに関しては、俗に"ウィスラーの悲劇"と呼ばれる残酷な事件も記憶に新しいかと思います。動物愛護の急先鋒の方々の中には、犬ぞりを含むあらゆる動物の使役に反対される方がいらっしゃることも知っています。
が、私はそういった考え方はしていません。大自然を前にして、犬と人が手を取ることによって、雪原を進み、狩りをして生活を切り拓くことができた。スポーツとしてだって、力を合わせてミッションをやり遂げようとすることは、犬と人の根源的な関わり方を垣間見ることができて心を動かされます。

番組の最後で、3位に入賞したヒュー・ネフ氏の言葉が流れます。

DOG(犬)を反対から読むとGOD(神)になる
犬たちと一緒に走るとき
星が瞬き オーロラが見えたら 聖書を持つ必要はない
僕にとって今の暮らしこそ天国だから
犬たちは愛すべきもの 僕たちは一心同体なんだ
もし犬ぞりをやめたら 僕は死んだも同然になる
犬ぞりは僕に生きる力と 活気を与えてくれるから
走っているとき 僕は犬たちと ダンスをしている気持ちなんだよ

(NHK番組 「オーロラの犬ぞりレース〜アラスカ1600キロをゆく〜」より)

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ユーコン流域を舞台にした映画「狩人と犬、最後の旅」を観ました。

実在する"最後の罠猟師"、ノーマン・ウィンター氏の自然との関わりを主題に、ご本人が演じておられるセミ・ドキュメンタリーなドラマです。
監督はフランスの冒険家でもあるニコラス・ヴァニエ氏。ご自身が大自然と対峙してこられた方だけあって、山も、川も、野生動物達も、その映像は美しさと厳しさ、そして愛しさに満ちています。

そして、ウィンター氏と共に生きる"そり犬"達が準主役。ウィンター氏は今はもう犬を使っておられないそうですが、ヴァニエ監督自身の犬が、途中からの犬ぞりのリーダー犬を演じています。
一頭のハスキーの成長がストーリーとも言えますが、猟師(家族)の一年間を通して、自然と共生するということはどういうことかを問うている、むしろ淡々とした映像詩と言えるような作品です。

途中で何度か、ウィンター氏の自然や狩猟に関する思いが語られます。

私の幸福は 自然との関係の中にある
単に崇拝しているのではなく 私も自然の一部だ
人間は自然との接触を失わず 環境を共有すべきだ
人類が生き残るには 自然とともに生きることから始めねば

(映画 「狩人と犬、最後の旅」より)

我々のように文明社会に生きる人間は、自然環境は自分たち人類が自由に変えて良いと信じて疑わないかのような驕った振る舞いを重ねてきました。
自然は人類が敵対し屈服させる対象と見なされる一方で、自然保全を考えると人類が関わってはいけない(極論を言うと人類は居なくなるべき)という考え方もあるかと思います。私はむしろ後者の考えに寄っていました。
が、この映画の中では、(日本の里山のような半人工的なものではない)大自然に対しても人間ができる役割があると語られます。その自然観をどう受け取るかは人それぞれかもしれませんが、私にとっては一つの救い(光明)のようにも感じられました。
# 念のために書き加えておくと、"里山"も自然との共存のすばらしい在り方の一つだと思っています。

コレクターズ・エディションの特典DVDには、ヴァニエ監督の"子供たちとの対話"が収録されています。その冒頭で、ある子供の感想が流れます。

人間と自然の
ラブストーリーだと思いました


とっても素敵な、深い映画でした。
そして、一度はアラスカのユーコン準州を旅してみたくなりました。

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ユーコン・クエストのレース犬や、かつてエスキモーの方々がそしてアラスカの狩人が使役していた"そり犬"達とは、ファルコは対極にあるタイプの犬かもしれません。
鳥猟(貴族の遊び?)のために、極度に分化した役割を果たすために作出された犬種。人に寄り添うのは得意でも、番犬にさえならない野性味の無さ...
人間の精神生活を豊かにするのが現代の犬の仕事とも言われるわけですから、ある意味最も現代社会で共生しやすい犬種なのでしょう。

が、レトリバー種も(そしてトイグループ以外のほとんどの犬種は)本来は、人間と一緒に(人間のために)作業をするために作られたもの。その仕事の本能が組み込まれているはずです。
"お仕事"をしている時の犬は活き活きとしていて美しいと感じます。
ファルにもそんな仕事の喜びを与えたいとあらためて思ったのでした。
posted by Tosh at 23:45| Comment(0) | 雑記帳

2013年02月08日

ベルリンとの違い

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少し冬が戻ってきました。
昨夜から降り出した粉雪、今朝は2cmあまり積もりました。今夜の散歩時にもまだ、ふわふわキュッキュッの感触を楽しむことができたんですよ。

という近況とは関係なく、今回は雑記帳ネタ。
いつか触れなければいけないと考えながら、保身(トラブルを避けたいという思い)から直接は話題にしなかったテーマがあります。オフリード。
その一回目です。

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昨年秋の犬の日(11月1日)に放送されたNHKの"地球イチバン「地球でイチバン ペットが幸せな街〜ドイツ・ベルリン〜」"。
ご覧になった方も多いかと思うのですが、人の社会にもっとも犬が入り込んでいるんだろうと思われるベルリンの様子を、映像で見ることができてとても刺激になりました。当たり前のように公共交通機関に乗り込んでいるシーンは羨ましかったなぁ...

もっとも、dog actuallyの熱心な読者であれば、京子アルシャーさんの記事群で紹介されていることも多くて、それほど目新しい話ではなかったかもしれません。一年ほど前に、"旅のチカラ「犬の幸せってなんだろう・・・」"という番組も放送されてましたしね。
犬税やウンチ問題に関しては、美化した誤解?を与えかねない紹介でしたが、あの短い番組の中ではああいった"かいつまみ方"も仕方ないのでしょう。

で、ドイツの羨ましい犬事情がテレビやネットで紹介されると、必ずのように"厳しく躾けられている"という背景が語られますね。"子供と犬の躾はドイツ人に..."といった言い回しの"諺"が持ち出されることも多いと思います。
# ちなみに、この"諺"の出典を調べたことがあるのですが、いまだに判らずじまいです。日本で通説として言われてるだけで、実はそんなのは無いんじゃないかという疑念も拭い去れないのですが...

いずれにせよ、犬たちが街中をリード無しでゆったりと歩き、それを咎める人もいない環境というのに、私は強い憧れを感じます。
ベルリンほどは犬が市民権を得ている?わけではないかもしれませんが、ロンドンのハイドパーク等の様子は自分自身でも見てきました

これらのリードを離されても平気な犬たちってのは、本当に"しっかり躾けられている"のかっていう素朴な疑問を私は抱いてきました。
イギリスで見た飼い主さん達は、特に"躾"に厳しそうという感じは受けませんでした。ドイツに関しても、京子アルシャーさんのこの記事などを読むと、実はそうでもなさそうです。

確かに"犬の学校"等できっちりと(飼い主も)トレーニングをするっていう側面もあるはずですが、京子アルシャーさんの書かれているとおり、自然な犬の行動が認められているために、そして社会性を育むような環境が用意されているために、日本で一般的に危惧されるようなトラブルが起きないのかもしれません。
# 更に言うと、犬種特性を含むブリードの違いも影響しているでしょうね。ドイツでもイギリスでも、都市部で小型犬が増えてきたことによってトラブルも増えてきたという情報もあります。どんな犬でもリードを離して歩けるわけではないようです。

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dog actuallyからもう一つ興味深い記事を紹介させていただきます。
藤田りか子さんのこの記事では、リードを付けるのが当たり前のスウェーデンでは、他のヨーロッパ諸国に比べて、出会った犬同士が"いがみ合う"ことが多いのだそうです。
これは、リードの存在等によって、犬同士の自然なコミュニケーションが阻害されているためと説明されています。そして、その望ましくない行動が習慣化してしまう危険性も。
これって、日本でよく見かける吠え合う犬たちの姿そのものですよね。

実はこの藤田さんの記事は、リアルタイムで読んでいた私に本文以外の部分で衝撃を与えました。それはコメント欄なのです。
dog actuallyの読者層というのは比較的意識の高い飼い主さん達だろうと漠然と考えていたのですが、歯に衣着せぬ言い方をするなら"ノーリードの勧めのように読むバカがいるから書き方を考えろ!"という苦情を、複数の方が書き込んだのです。中には、"日本で公共の場においてのオフリードは条例違反"と明言しろという嘘を強要するようなものまで...
私の"意見"を書きこむべきか迷ったのですが、あのコメント欄で不毛な争いをしても良いことはないだろうと判断したのでした。
その時の"宿題"については別記事にまとめたいと考えています。

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話をベルリンに戻して、あの番組の中で私が最も羨ましいと感じたことを書いておきたいと思います。

街中のインタビューでさらっと流れる一言。
人混みではリードをつける義務があるけど
しつけができていれば問題ない
飼い主の判断に任されているんだ

(NHK番組 "地球イチバン「地球でイチバン ペットが幸せな街〜ドイツ・ベルリン〜」"より)

そう、ベルリンには、実はオフリードを規制する決まりがあるようなのです。京子アルシャーさんのこの記事にも規制があることが書かれていますね。
# 本記事を書くにあたって、具体的な内容を探してみたものの、ドイツ語がチンプンカンプンなもので残念ながら見つけられませんでしたが...

私がなんとなく抱いていたドイツ人のイメージは、日本人と同じように生真面目で規則を守るというものでした。が、ベルリンの犬のリード規制に関しては、歴史的背景や憲法にも謳われている動物愛護精神の本質の方を鑑みて、市民は柔軟な行動を選び、行政も大目に見る対応をしているように思えます。
そういった折り合いの付け方の結果、世界中から羨望されるような、高度に犬と人が共生する社会が維持されているのかもしれませんね。

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posted by Tosh at 23:59| Comment(0) | 雑記帳

2013年02月17日

犬に関する法令等

さて、ちょっと気が重いのですが、飼い犬をオフリードにすることに関する私の考えを述べ始めることにしましょう。

最初に断っておきますが、つまらない記事ばかりの拙ブログの中でも、今回のは特別に面白くないと思います。具体的な議論を始めるにあたっての基礎になる情報をまとめてあるだけなものですから。
その代わり、埋め合わせとして、ゆのんさんからいただいた先週末の雪遊びの楽しそうな写真を挿絵にさせていただきますね!

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ネット上では、"ノーリードは飼い主失格"、"ノーリードは撲滅すべき"といった意見が大量に見受けられます。その理由としてよく挙げられているのは、以下の3点のように思います。
a. 違法である(条例違反、ルール違反...)
b. マナー違反である(犬嫌いの方に配慮すべき...)
c. 飼い犬の生命を危険にさらすため

私も b.と c.については大きく異論を差し挟むつもりはないのですが、a.の違法性に関してはかなり憂慮すべき状況になっていると感じています。
"ノーリード"という言葉自体からして明確な定義がないと思いますし、私は、感情論や"こう思う"といった不毛な水掛け論をしたいわけではありません。
きちんとした議論のために、まず拠り所をはっきりさせておきましょう。

日本はドイツのように憲法で動物に関することを謳ってはいませんので、我が国において動物をどう扱うべきかの最重要な文書は法律になるはずです。"動物愛護管理法"と略される"動物の愛護及び管理に関する法律"。
この法律は昨年改正されて今年9月から改正版が施行されるわけですが、この一連の議論は、原則として今(2013年2月に)施行されている法令等をベースにおこないます。

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ではまず、"動物の愛護及び管理に関する法律"の中で、(動物取扱業を営んでいるわけでも、特定動物を飼っているわけでもない)一般の犬の飼い主に直接関係しそうな部分を抜粋してみます。
実はほんの少ししかありません。

(目的)
第一条 この法律は、動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止することを目的とする。


(基本原則)
第二条 動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。


(基本指針)
第五条 環境大臣は、動物の愛護及び管理に関する施策を総合的に推進するための基本的な指針(以下「基本指針」という。)を定めなければならない。

<第2項〜第4項を省略>

(動物愛護管理推進計画)
第六条 都道府県は、基本指針に即して、当該都道府県の区域における動物の愛護及び管理に関する施策を推進するための計画(以下「動物愛護管理推進計画」という。)を定めなければならない。

<第2項〜第5項を省略>

(動物の所有者又は占有者の責務等)
第七条 動物の所有者又は占有者は、命あるものである動物の所有者又は占有者としての責任を十分に自覚して、その動物をその種類、習性等に応じて適正に飼養し、又は保管することにより、動物の健康及び安全を保持するように努めるとともに、動物が人の生命、身体若しくは財産に害を加え、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない。
2 動物の所有者又は占有者は、その所有し、又は占有する動物に起因する感染性の疾病について正しい知識を持ち、その予防のために必要な注意を払うように努めなければならない。
3 動物の所有者は、その所有する動物が自己の所有に係るものであることを明らかにするための措置として環境大臣が定めるものを講ずるように努めなければならない。
4 環境大臣は、関係行政機関の長と協議して、動物の飼養及び保管に関しよるべき基準を定めることができる。


(地方公共団体の措置)
第九条 地方公共団体は、動物の健康及び安全を保持するとともに、動物が人に迷惑を及ぼすことのないようにするため、条例で定めるところにより、動物の飼養及び保管について、動物の所有者又は占有者に対する指導その他の必要な措置を講ずることができる。


(犬及びねこの繁殖制限)
第三十七条 犬又はねこの所有者は、これらの動物がみだりに繁殖してこれに適正な飼養を受ける機会を与えることが困難となるようなおそれがあると認める場合には、その繁殖を防止するため、生殖を不能にする手術その他の措置をするように努めなければならない。

<第2項を省略>

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"動物の愛護及び管理に関する法律"に基づき、今回の議論で拠り所とする文書をまとめてみると、上図の5種類になるかと思います。

a. 動物の愛護及び管理に関する法律 (昭和48年10月1日 法律第105号)
もちろん国が定めたものです。施行規則等が存在しますが、それらを含めて便宜上"法律"と呼ぶことにします。

b. 動物の愛護及び管理に関する施策を総合的に推進するための基本的な指針 (平成18年10月31日 環境省告示第140号)
"法律"第5条を受けた環境省告示です。法的拘束力のないガイドラインと考えるのが妥当だと思われます。簡略化のために"基本指針"と呼ぶことにします。

c. 家庭動物等の飼養及び保管に関する基準 (平成14年5月28日 環境省告示第37号)
"法律"第7条4項を受けた環境省告示です。"よるべき基準"(慣用的な用語で、合理的な理由がない限り従わなければいけない基準:準則)という用語で定義されていますので、一定の法的拘束力を持つ法令等として扱うべきかと思います。
が、罰則規定のない努力義務となっています。実効力を持つために後述の"条例"等に反映されることを想定しているようにも思えるのですが、あくまでも動物の所有者等に対する基準として示されています。"法律"第7条4項で規定された基準は複数あるのですが、一般的な飼い主に関する標題の文書のみを簡略化のために"基準"と呼ぶことにします。

d. 動物愛護管理推進計画 [兵庫県に関しては 平成20年3月策定のもの]
"法律"第6条を受けた都道府県ごとの文書です。法的拘束力のないガイドラインと考えるのが妥当だと思われます。簡略化のために"推進計画"と呼ぶことにします。

e. 動物の愛護及び管理に関する条例 [兵庫県に関しては (平成5年3月29日 兵庫県条例第8号)]
"法律"第9条を受けた地方公共団体ごとの法的拘束力を持つ文書です。施行規則等が存在する場合がありますが、それらを含めて"条例"と呼ぶことにします。

多くの都道府県には"動物の愛護及び管理に関する条例"という名称の"条例"が存在していますが、それが無い都道府県もあります。
例えば、石川県。現時点では"犬の危害防止条例"があるだけで、動物(全般)の愛護部分には触れていないようです。千葉県も"千葉県犬取締条例"があるだけですが、千葉市等には"動物の愛護及び管理に関する条例"が存在します。
環境省のこのページには主な地方公共団体の"条例"制定状況がまとめられています。が、(このリスト以外にも)政令指定都市や中核都市以外で"動物の愛護及び管理に関する条例"を定めている市があったり、別の条例で犬の飼養や管理を規定していたりもしますので、"条例"に関してはそれぞれの方が住む地域に固有の判断が必要になると考えられます。

なお、私が住んでいるのは兵庫県ですので、"推進計画"と"条例"については、主に兵庫県のものについて言及していくことになります。

このページから兵庫県の"推進計画"をダウンロードすれば、"参考資料"として、"法律"、"基本指針"とともに兵庫県の"条例"も掲載されています。"基準"については国(環境省)が用意したこのページに広義の法令等が集められているので参照ください。

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拠り所となる法令等は明示しました。
が、正確な議論を進めるためには、もう一つしておかなければいけないことがあります。言葉(用語)の使い方を明確にすることです。

法的な文書には、専門用語とともに慣習的に(一般的な使い方と少し異なる)意味が与えられてきた単語や言い回しというものも存在します。これをここでは荒っぽく"法律用語"と呼ぶことにします。また、その法的な文書中で意味を明確にするために用語を定義するということもおこなわれます。
法令等に出てくる用語を解釈するルールは、定義がなされていれば(その文書中では)それに従う、"法律用語"であればその意味と捉える、それ以外は日本語として一般的に使われている意味と解釈すべきです。これを守らなければ恣意的な解釈ばかりが横行し、法の実効性が損なわれることは明白でしょう。
また、その法令等の"目的"や"原則"といった主旨を理解して、各条文の意味を論理的に理解する姿勢も重要かと思います。

なお、私は法律の専門家ではありません。仕事の上で法的な文書に触れる機会が多いので、少しは法令等の読み方を知っている程度です。
もしも明らかに間違っている点がありましたら、ぜひご教示いただきたく思います。私は、(個人のブログであっても)誤った情報の記載が続くことは好ましくないと考えていますので、きちんと訂正させていただきます。

では、言葉(用語)の使い方を整理してみます。

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私が最も気にしているのは"オフリード"の適法性ですが、一般には"ノーリード"という言葉がまかり通っていますので、そこから始めましょう。

"ノーリード"は和製英語でしょうね。英語の"No Lead"の伝えるニュアンスは、"リードの使用に反対する"とか"リードは(一切)使わない"といったものだと思いますが、熟語として定着したものではないと思います。
日本で"ノーリード"というと、散歩時等に一時的に犬をリードから放すという意味で使われていることが多いようですが、本来これを表す英語は"Off Lead"あるいは"Off Leash"です。
更に、自宅周辺で"放し飼い"にされている状態も"ノーリード"と捉えられているようで、議論の混乱を招いていると思われます。

なお、私が調べた限りでは、法令等で"ノーリード"という言葉が使われているものはありませんでした。兵庫県の"推進計画"にも使われていない言葉ですが、一部の都道府県の"推進計画"には記述がみられるものもあります。

したがって、きちんとした定義がなされないままで(2種類の概念が混乱した)"ノーリード"という言葉を安易に使うことは避けるべきだと考えます。

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実は問題を一番ややこしくしているのは、犬や猫に関する"放し飼い"という言葉かもしれません。

公園などで"犬の放し飼いは禁止します"といった看板を初めて目にした時、何か違和感を覚えたことはありませんでしょうか?
"放し飼い"という日本語は、一般的には"(恒常的に)動物を一定の広さの範囲に放して飼うこと"として認識されているはずです。辞書を引いてもそういった意味しか出てきません。犬の"ノーリード"問題と絡めた時以外に、"放し飼い"という言葉を"一時的に放すこと"の意味で使う例を、私は寡聞にして知らないのです。

では、拠り所とする法令等ではどうなっているかを見てみましょう。
"法律"と"基本方針"には"放し飼い"という用語は出てきません。後で述べる多くの"条例"に見られるいわゆる"けい留義務"についても触れられてはいません。"基準"の第4-1だけに下記の記述があります。

犬の所有者等は、さく等で囲まれた自己の所有地、屋内その他の人の生命、身体及び財産に危害を加え、並びに人に迷惑を及ぼすことのない場所において飼養及び保管する場合を除き、犬の放し飼いを行わないこと。

特に定義もなされていませんから、一般的に日本語として使われている意味と異なる解釈をすべき理由はありません。つまり、国の文書の中では"放し飼い"という言葉に"一時的に放すこと"を含めているとは考えられません。

兵庫県の"条例"にも"放し飼い"という言葉は出てきません。が、"推進計画"の方では4カ所でこの言葉が使われています。部分的に抜粋して紹介します。
"犬やねこの放し飼いや犬の散歩時の..."
"ねこに関しては放し飼いが多数を占めていることから..."
"放し飼いのねこの糞尿を原因として..."
"飼い犬のけい留指導を強化するとともに、指導に従わず放し飼いにしている犬の収容を..."

最期の文は"けい留"の捉え方を間違えると、"一時的に放すこと"も含むと主張する方もいらっしゃるかもしれませんが、それ以外の文を論理的に読む限り、"一時的に放すこと"は含まないと明確化されていると考えるのが妥当でしょう。

なお、私の調べた範囲では、"動物愛護管理法"以外の法令等でも"放し飼い"を"一時的に放すこと"の意味で使っているものは見つかりませんでした。逆に、"一時的に放すこと"について自然公園法(施行規則を含む)等では、"動物を放つ"、"犬を放つ"という表現が使われています。

どこかで見かけたことのある"散歩中の放し飼い"といった言葉は、国や兵庫県の公式見解を見る限り、矛盾に満ちた不適当なものと言うべきでしょう。

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いわゆる"けい留義務"についても注意が必要です。
"係留"、"繋留"とも書かれますが、この言葉も日本人であれば、ほとんどの方が"固定された物、地面等に繋ぎ留める"ことだと認識しているはずです。"右手で繋留していた犬を放す"といった使い方はあり得ないというのが常識でしょう。

よく知られているように、多くの地方公共団体の条例には、"犬はけい留しておくこと"といった条文があり、これを一般的に"けい留義務"と呼ぶようです。ただし、条例によっては"けい留"を通常の日本語とは異なる意味を与えて定義しており、混乱を招きかねない状況にあります。

一方、"放し飼い"のところでも触れたように、"法律"と"基本方針"には"けい留義務"は書かれていません。"けい留"について記述されているのは、"基準"の第4-2の下記の一文だけです。

犬の所有者等は、犬をけい留する場合には、けい留されている犬の行動範囲が道路又は通路に接しないように留意すること。

なぜ、"法律"には定められていない"けい留義務"が、下位の法である"条例"の多くに記載されているのか? さらに、"条例"によっては不自然な定義までなされているのか? このいびつさに、"ノーリード"問題の混沌を読み解く鍵が隠されていると私は考えています。

その鍵というのは非常にシンプルなもの。法令等の制定時期です。
環境省のこのページには興味深い資料が集まっていますが、"資料4 動物の愛護管理の歴史的変遷"を参照いただければ幸いです。

"動物の愛護及び管理に関する法律"の前身である"動物の保護及び管理に関する法律"は、1973年に制定されています。これは、国際的な要請(圧力?)を受けて、急ごしらえで作られたとも言われるようですが、"動物愛護"の思想が盛り込まれた最初の法令等と考えられます。

一方、上記の"資料4"中の"動物の愛護管理に関する主要事項の年表"によれば、1939年には既に"東京都が畜犬の係留義務規制を都令で公布"したとされ、1957年には("けい留義務"の盛り込まれた)"飼い犬取締条例"が東京都で制定されていたようです。
日本における犬の狂犬病発症記録は1956年が最後ですので、上記の条例が制定された時期は、狂犬病撲滅の戦いの最中であったと言えるでしょう。またその頃は、(例外的な"お座敷犬"を除けば)犬は屋外で飼うのが当たり前でしたから、"放し飼い"による狂犬病の蔓延防止を含む公衆衛生的な見地からは、それまでは家の周りで放し飼いが多く見られた犬に対して、"けい留"を義務づけるのは妥当な判断だったのかもしれません。

ところが、時が流れて2002年に"基準"が告示される頃には、日本における室内飼いの比率も高まっていて、"けい留"を解決法とするのではなく、"さく等で囲まれた自己の所有地、屋内その他の人の生命、身体及び財産に危害を加え、並びに人に迷惑を及ぼすことのない場所"で飼えば良い、それ以外の場所での"放し飼い"を禁止すれば十分だという判断に至るのは自然な流れだったのでしょう。

さらに言えば、1989年にはユネスコによって"世界動物権宣言"が発表され、1993年には世界獣医学協会が"5つの自由"を含む動物福祉の指針を示すなど、国際的な潮流を考慮した可能性も大きいと想像されます("基本指針"の冒頭部、"動物の愛護及び管理の基本的考え方"には、"世界動物権宣言"の影響が色濃く見られます)。ヨーロッパ諸国において"けい留"は、"正常な行動を表現する自由"を奪う虐待とみなされるといった情報も多く入ってくるようになっていたわけですから。

こういった国の法令等の変化に対して、各地方自治体は何も対応してこなかったのでしょうか?
いやそうではなさそうです。"動物愛護"の概念がなかった頃に作られた"けい留義務"の条文に(付け焼刃的な)手を加えることによって、何とか体裁を繕ってきたということのようです。

その小手先の手法の主なものは、情勢に合わせて"けい留義務"の例外規定を増やしていくというものでした。また、"囲いの中で飼う"ことも"けい留"であると、通常の日本語から逸脱した定義をおこなっている"条例"も少なくありません。

"けい留義務"を廃止して、"放し飼いの禁止"を謳うといった抜本的な対応をしなかった(できなかった?)ことのツケは大きいと言わざるをえません。
用語の使い方(あるいは日本語自体)が乱れ、"(恒常的に)放し飼いをする"のと"一時的にリード等から放す"という異なる二つの事象を一括りにして"ノーリード"と呼ぶ結果を招き、問題の本質が見えにくくなってしまいました。


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かなり回り道をした恰好ですが、もともとの私の目的は、"オフリード"の違法性を検証することです。

日本は法治国家なわけですから、"条例"がいかにいびつな形になっていようが、施行されている法令等に従わなければいけないのは当然です。
ただし、法令等の意味するところは、世間で何となく言われている通説に流されず、きちんと読む必要があると考えて、本記事をまとめました。

先に述べたように、いわゆる"ノーリード"は二つの異なる事象を混ぜこぜにしている概念ですので、以降の記事では"放し飼い"と"オフリード"に分けて、法令等との関係を探ってみることにします。
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2013年02月20日

放し飼いは違法?

昨日の朝から降った雪、今朝までは南向きのテラスにも積もっていたのですが、今夜はもう日陰にちょっとだけしか残っていません。

先週末は寒かったですね。その割には、連日雪化粧はするものの、すぐに融けて乾いてしまう日が続きました。
今回の挿絵は、少ししか雪のなかった土曜日午後の散歩時のものです。

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さて、いわゆる"ノーリード"の一形態?である"放し飼い"が、法令等でどのように扱われているか調べてみました。
一つ前の記事をベースにした考察ですので、"放し飼い"には(散歩時などに)"一時的に放す"ことは含めません。(定常的に)一定の広さの範囲に放して飼うという通常の日本語の意味です。

前記事で紹介した"基準"の第4-1を、他の"条例"と比較してみやすいように、例外規定を独立させた形に書き換えてみます。

犬の所有者等は、犬の放し飼いを行わないこと。ただし、次に掲げる人の生命、身体及び財産に危害を加え、並びに人に迷惑を及ぼすことのない場所において飼養及び保管する場合は除く。
(1)さく等で囲まれた自己の所有地
(2)屋内
(3)その他

私はこの"基準"を一定の法的拘束力がある法令等と捉えていますので、原則的には"放し飼い"は禁止されていると認識すべきと考えます。
ただ、例外規定の中に"その他"が入っていることによって、結局のところは、"人の生命、身体及び財産に危害を加え、並びに人に迷惑を及ぼす場所では放し飼いはおこなってはいけない"と言っているに過ぎません。

なお、"基準"が制定された時点では、多くの地方公共団体の"条例"で"けい留義務"が定められていたにもかかわらず、国としては"けい留"することを重視していない("放し飼い"をしない一つの手法でしかない)ことをきちんと認識しておく必要があると思います。

では、地方公共団体の"条例"で"放し飼い"がどのように扱われているのか、いくつかの例を見てみることにしましょう。

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まずは、"動物愛護"のスタンスが入っていない古いタイプの管理条例を今も使っている千葉県のもの(千葉県犬取締条例)を取り上げます。

第三条 管理者は、次の各号のいずれかに該当する場合を除くほか、その飼い犬を他人の身体又は財産に危害を加えないように係留し、又は抑留しておかなければならない。
一 飼い犬を他人の身体又は財産に危害を加えるおそれのない場所又は方法で訓練し、移動し、又は運動させるとき。
二 警察犬、狩猟犬又は身体障害者補助犬(身体障害者補助犬法(平成十四年法律第四十九号)第二条第一項に規定する身体障害者補助犬をいう。)をその用途に使用するとき。
三 飼い犬を運搬の用に供するとき。
四 飼い犬を曲芸、展覧会、競技会その他これらに類する催しのために使用するとき。

五 ほ乳期の飼い犬を飼養するとき。


第七条 第三条の規定により現にけい留し、又は抑留されている飼い犬については、同条各号の一に該当する場合を除くほか、何人も、そのけい留又は抑留を解いてはならない。

# 水色の部分は"オフリード"の違法性議論には絡みますが、"放し飼い"とは直接関係ありませんので、本記事では考察の対象外とします。

なんと、千葉県ではほ乳期を越えた飼い犬は、たとえ室内飼いであってもずっと"けい留"または"抑留"!しておかなければいけない(室内でも"放し飼い"は条例違反)ことになっています。
# "抑留"という言葉は、おそらく"檻に閉じ込めておく"という意味で使われていると想像しますが、はなはだ不適切な使い方だと感じます。敢えて言うまでもないと思いますが、"抑留"は部屋の中で自由にさせている状態を含みえるような言葉ではありません。

2013/02/25 追記: 読み返してみたら、ちょっと私の読解に不十分な点があったことに気付きました。千葉県犬取締条例の第三条では、"係留又は抑留"の目的とも読める"他人の身体または財産に危害を加えないように"という記述があります。普通の室内飼いで来客のない("他人"から隔離された)時間であれば、室内での"放し飼い"に関しては容認される(条例違反に当たらない)可能性があるようにも思えます。
もっとも、普段の飼養状態というのは、"訓練し、移動し、又は運動させるとき"というのには相当しませし、他の"各号"の例外規定にも当たりません。法的な文章の構造としては室内の"放し飼い"は違法と読むのが妥当だと思いますが、"人の"ではなく"他人の"という言葉によって"お目こぼし"を受けられる可能性はあるのかなと思います。


一方、千葉市の"動物の愛護及び管理に関する条例"では、以下のように記述されています。

第2条 この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
<第2項〜第5項を省略>
(4) けい留 飼い犬を逃げるおそれがなく、かつ、人に危害を加えることのないようにさく、おりその他の囲いの中で飼養し、又は鎖等でつないでおくことをいう。

第6条 所有者等は、動物を適正に飼養するため、次に掲げる事項を遵守しなければならない。
<第1項の各号を省略>
2 犬の所有者等は、前項の遵守事項のほか、次に掲げる事項を遵守しなければならない。
(1) 飼い犬をけい留しておくこと。ただし、次のいずれかに該当する場合は、この限りでない。


第一義が"囲いの中で飼養すること"とも読める"けい留"の定義には違和感を覚え(日本語の乱用を憂い)ますが、法的にはこの定義に従わざるをえません。
そうすると、屋内で"放し飼い"をしている人は、千葉市民としては問題にならないのに、千葉県民としては条例違反に問われるわけです!?

実は、これにはカラクリがありました。千葉県内では、千葉市が政令指定都市であり、船橋市が中核都市に指定されています。この二つの市には"動物の愛護及び管理に関する条例"が定められているので、以下の条文で"千葉県犬取締条例"の適用から除外されていたのです。

第十三条 この条例は、千葉市及び船橋市の区域においては、適用しない。

うーん、千葉市民、船橋市民がこのことをちゃんと理解されていれば良いのですが... なんかスッキリしないのは私だけでしょうか?

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今度は"条例"で"けい留義務"を謳っていない都道府県を紹介しましょう。
最初の例は北海道。"動物の愛護及び管理に関する条例"にはこんな規定があるだけです。

第7条 犬の飼い主は、その飼養する犬について、次に掲げる事項を遵守しなければならない。
(1) 逸走を防止し、適正に管理するため、室内、十分な広さのある囲いの中その他の人に危害を加えるおそれのない場所又は方法で飼養すること。

この条文は、国の定めた"基準"にかなり近い内容ですね。
ただし、札幌市には"畜犬取締り及び野犬掃とう条例"があり、"囲いの中"を含んだ広義の"けい留義務"が定められています。他の市町村にも同様の規定があるかもしれません。

もう一つ。静岡県も特色のある"動物の愛護及び管理に関する条例"です。
多くの都道府県の"条例"では、動物全般に関する飼い主の責務と、犬の飼い主専用の責務が条を分けて記載されているのですが、静岡県の"条例"には犬特有の責務が存在しません。# ねこ特有の責務が定められているという点でも他のものとは一線を画しています。

なお、静岡県内の多くの市では、"飼い犬条例"といった名称の条例で、犬の飼い主の責務を定めているようです。が、私の確認した範囲では、その多くは同じような内容で、("けい留"等の)必要な措置を義務化するという自由度のあるものです。静岡市の"飼い犬条例"を引用しておきましょう。

第2条 犬の所有者、占有者及び管理者(以下「所有者等」という。)は、その所有し、占有し、又は管理する犬(以下「飼い犬」という。)を飼育管理している場所において、その飼い犬の性質、形態等に応じて、丈夫な鎖若しくは綱でつなぎ、又はおり若しくはさくの中に入れておく等、飼い犬が人畜その他に害を加えることのないよう必要な措置をしておかなければならない。

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最後に、兵庫県の"動物の愛護及び管理に関する条例"を紹介しておきます。

第12条 飼い犬の所有者等は、当該飼い犬が人の生命等に害を加えないように、これを鎖等でつないでおかなければならない。ただし、次に掲げる場合で当該飼い犬が人の生命等に害を加えるおそれがないときは、この限りでない。
(1) 生後90日以内の飼い犬を飼養し、又は保管する場合
(2) 飼い犬をおりに入れて飼養し、若しくは保管し、又は囲い等の障壁の中で飼養し、若しくは保管する場合

(3) 飼い犬を鎖でつなぐ等の方法で連れ出す場合
(4) 飼い犬をおりに入れる等の方法で移動させる場合
(5) 飼い犬を訓練し、又は競技等に参加させる場合
(6) 飼い犬を狩猟、犯罪の捜査、障害者の介助等のために使用する場合


ファルコが "人の生命等に害を加えるおそれがない犬"に相当するなら、部屋(囲い等の障壁)の中で"放し飼い"することに問題はなさそうですね。

兵庫県の"条例"は、全体的によく考えられたものだと感じています。
この条文でも、いたずらに"けい留"の意味を拡大定義することは控えてありますし、"飼養し、又は保管する場合"という定常的な飼い方に関する事項と、一時的な状況下での条件とがわかりやすく分離されています。

# あら探しをすれば、"人の生命等に害を加えるおそれがある犬"は、おりに入れることができず、"けい留"でなければならないと読める点は、少し問題があるかもしれませんが...

北海道や静岡県のように、国の"基準"以上には制限を設けないというわけにはいかなかった(いわゆる"けい留義務"は温存された)のは残念ですが、例外規定の条件として犬の性質(状態)を定めている点にも多くの都道府県とは異なる(横並びではない)独自の検討がなされていることが窺われます。

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少し脱線しますが、兵庫県の"推進計画"も("条例"と同様に)、他の多くの都道府県のものに比べて優れていると感じています。

例えば、東京都の"推進計画"には "公園等の公共の場所で問題になっているノーリード(放し飼い)..."などという不適切な表現が見られますし、全体的にお役所仕事で(行政の都合ばかりが)書かれていると感じてしまう代物です。
いくつかの他の"推進計画"も流し読みしましたが、その多くに "人と動物の共生"="他人に迷惑をかけない飼い方"との考えが見え隠れしていました。

兵庫県のものは、動物介在活動などの動物が人間社会に寄与していることに言及し、真の意味で"人と動物の共生"を目指そうという姿勢(動物に対する"愛情")が感じられる文書になっています。お時間があれば、ぜひ読んでみてください。
なお、静岡県の"推進計画"も好感が持てるものでした。5年ほど前に作られた計画の中で、災害時の同行避難にまで(回答数は少ないもののアンケートまで取って)言及しているのは、静岡県のものしか見つけられていません。

余談のついでに、兵庫県の"条例"の方で、私が感動さえ覚えた条項を二つ紹介させていただきます。

(県民の責務)
第5条 県民は、自ら進んで動物愛護思想の涵養と動物の適正な愛護に努めるとともに、県及び市町の動物の愛護及び管理に関する施策に協力しなければならない。


(動物の所有者等の遵守事項)
第10条 動物の所有者等(法第10条第1項に規定する動物取扱業(以下「動物取扱業」と いう。)を営む者を除く。)は、次に掲げる事項を遵守しなければならない。

<第1項の(1)〜(8)を省略>
(9) 動物の飼養又は保管の作業を行う者の健康管理に留意すること。

県民の責務に "自ら進んで"という言葉を盛り込み、動物の飼い主は"健康管理に留意"すべきと踏み込んであるものは、私がちょっと調べた限りでは兵庫県だけです。このような県に在住していることに感謝したいと思います。

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話が発散してしまいました。
今回の記事は、"放し飼い"の違法性でしたね。

もう一度まとめておくと、

国は、"原則として放し飼いは禁止"と定めている。ただし、"人の生命、身体及び財産に危害を加え、並びに人に迷惑を及ぼすことのない場所"においては容認されると考えて良いでしょう。

各地方公共団体によって"放し飼い"に関する規制は大きな違いがあります。千葉県のように室内飼いであっても"けい留"していないと"拘留又は科料"という処罰対象になるような自治体から、静岡県のように(県下の多くの市も同様に)国の"基準"以上には規制しないという自治体まで。北海道のように道と主要都市でスタンスが異なる自治体もあります。

したがって、原則的には"放し飼い"は禁止されているものの、狭義(本来の意味)の"けい留"を義務付けているかどうかなどは、所属する地方公共団体によってさまざまであるというのが結論になるかと思います。
posted by Tosh at 23:59| Comment(14) | 雑記帳

2013年02月23日

オフリードは違法?

このところ、毎日少しだけ雪が積もっては融けるファルコ地方です。

カミさんから "このブログはもともと面白くないのに、今回のつまらない記事群で読者がいなくなっちゃったんじゃないの?"と言われておりますふらふら
なんですが、懲りずにオフリードの話題の4回目をば。

今日はカメラを持ち出してないので、先週末の日曜日にちょこっとだけ雪遊びに行った時の写真を挿絵にしますね。遠出じゃなくって六甲山です。

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今回は"オフリード"は法令等で禁止されているのか?って話です。

念のために言葉の意味を明らかにしておきますね。私の一連の記事で"オフリード"というのは、定常的に飼われている場所(家や庭、およびその周辺)から連れ出されている際に、犬がリードから放れた状態を指しています。反対語(繋がれた状態)は"オンリード"です。
先の記事で掲示した議論の拠り所となる5種類の文書の中には、"オフリード"という言葉そのものは出てこないと思います。が、飼養場所以外で鎖や綱から放れた状態に言及しているものを、"オフリード"についての記述とみなすことします。

"法律"と"基本指針"には"オフリード"に関する記述は全くありません。
国の法令等で何らかの記載があるのは"基準"の第4-5だけです。

犬の所有者等は、犬を道路等屋外で運動させる場合には、次の事項を遵守するよう努めること。
(1) 犬を制御できる者が原則として引き運動により行うこと。
(2) 犬の突発的な行動に対応できるよう引綱の点検及び調節等に配慮すること。
(3) 運動場所、時間帯等に十分配慮すること。
(4) 特に、大きさ及び闘争本能にかんがみ人に危害を加えるおそれが高い犬(以下「危険犬」という。)を運動させる場合には、人の多い場所及び時間帯を避けるよう努めること。


"運動"については特に定義がなされていないので一般的な言葉の意味と解釈すべきですが、積極的に走らせるのではない"散歩"も運動の一形態と解釈すべきだと思います。また、同じ"基準"の第3-1に下記のように記述されていることにも留意しておきましょう。

所有者等は、次の事項に留意し、家庭動物等の種類、生態、習性及び生理に応じた必要な運動、休息及び睡眠を確保し、並びにその健全な成長及び本来の習性の発現を図るように努めること。

いずれにせよ、"原則として"引き運動により行うことを遵守するよう"努める"という記述ですので、"引き運動"以外は違法と直結するわけではありません。
# もちろん、そんなことになれば、"脚側行進"で散歩しているのも違法になってしまいますね。

というわけで、国の法令等では、"オフリード"の禁止は明言されていないと判断すべきかと思います。

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では"条例"の方を見てみましょう。

一つ前の記事で、北海道や静岡県の"条例"にはいわゆる"けい留義務"の記述がないことを書きました。少なくともこの二つの都道府県の"条例"では、"放し飼い"だけでなく"オフリード"に対しても言及はなされていません。
私がチェックした"条例"はごく限られた数(10あまり)ですので、他の地方公共団体でも同じような扱いのところがある可能性は大です。

もっとも、都市を抱える市などには、"オフリード"を何らかの形で規制する"条例"がある場合も多いと思います。なので、北海道下や静岡県下であっても、"オフリード"は規制対象外と言い切れない点にはご注意ください。

ここで言いたかったのは、"オフリード"が全く規制されない地域もあるようだということだけです。

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私にとって最も影響のある兵庫県の"条例"を見てみましょう。
"オフリード"に関係するのは前記事でも引用した第12条になります。

第12条 飼い犬の所有者等は、当該飼い犬が人の生命等に害を加えないように、これを鎖等でつないでおかなければならない。ただし、次に掲げる場合で当該飼い犬が人の生命等に害を加えるおそれがないときは、この限りでない。
(1) 生後90日以内の飼い犬を飼養し、又は保管する場合
(2) 飼い犬をおりに入れて飼養し、若しくは保管し、又は囲い等の障壁の中で飼養し、若しくは保管する場合

(3) 飼い犬を鎖でつなぐ等の方法で連れ出す場合
(4) 飼い犬をおりに入れる等の方法で移動させる場合
(5) 飼い犬を訓練し、又は競技等に参加させる場合
(6) 飼い犬を狩猟、犯罪の捜査、障害者の介助等のために使用する場合


(1)と(2)は"放し飼い"に関することなので、今回は考察の対象外です。
(4)と(6)も、一般的な飼い犬の"オフリード"からは逸脱する状況のことですから、今回の議論からは除外します。

第12条全体は"けい留義務"の条項ですから、その例外として、"鎖でつなぐ等の方法で"連れ出して良いというのが(3)ですね。
"鎖等でつなぐ"ではなく"つなぐ等"になっていることから、"つなぐのとは別の何らかの方法"にも許容される余地がありそうです。が、この"等"の一文字をもって、"オフリードの方法で"連れ出すのも認められると解釈するのはさすがに無理があると思います。
常識的に解釈すれば、"リードでつなぐ(といった)方法で連れ出して良い"という感じで、何かあいまいな境界を残しながらも、連れ出す場合は"オンリード"を条件にしていると読み取る方が無難かと思います。

(5)では、"訓練"と"競技等に参加"する場合も"けい留"を解いて良いことが記されています。"競技会"は日常ではないイベントですから、とりあえず"訓練"の方で考えてみることにします。
この例外規定には、"鎖でつなぐ"といった"方法"の指定は一切ありません。したがって、"オフリード"に関しても許容されると考えるのが自然です。ただし、実は本文の方には"当該飼い犬が人の生命等に害を加えるおそれがないとき"という条件が明記されていることを忘れてはなりません。

とは言っても、条文を普通に読むと、"人の生命等に害を加えるおそれがある犬"は、室内での"放し飼い"も、連れ出す(散歩する)ことも違法です。
ノーリード反対派の方の意見によく見られる"どんな犬でも危害を加える可能性がある"という主張に従えば、兵庫県下のあらゆる犬は、ずっと鎖等でつなぎ続けることしかできませんね。

私はファルコのことを"人の生命等に害を加えるおそれがある"とは考えていませんので、室内飼いはもちろん、散歩も"訓練"も続けますけどね。

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法令等は厳密に読む必要がありますから、"訓練"の指し示す範囲も勝手に拡大解釈することはできません。
兵庫県の"条例"では"訓練"は定義されていませんし、"法律用語"でもありませんから、一般的な日本語の意味で読むべきですが、同じ文書でもう一カ所に"訓練"という言葉が出てきます。この"条例"中でどのような意味を持たせてあるかを知るヒントになりえるので引用しておきますね。

第11条 飼い犬の所有者等は、前条各号に掲げる事項のほか、次に掲げる事項を遵守しなければならない。
(1) 飼い犬の種類、大きさ、発育状況、健康状態等に応じて適正な運動をさせること。
(2) 飼い犬の習性、生理、生態等を理解した上で、当該飼い犬にあったしつけを行い、所有者等の制止に従うように訓練すること。


この条文では、"訓練"は"しつけ"と同じ方向(延長線上?)の概念で、"運動"とは別の事象であることがわかります。また、"訓練"はトレーナーさん等の非一般人がおこなうことを想定しているのではなく、それぞれの飼い主に求めている義務と言えますね。

結論:兵庫県下において、人の生命等に害を加えるおそれがない犬を"訓練"する場合の"オフリード"は合法です。

訓練する場所や状況、訓練する人についての条件はありません。
また、"訓練"とは普通にトレーニングととらえるべきで、単なるボール遊びや、自由に走らせるのは"訓練"には相当しないと考えられます。
が、本当に"訓練"っていうのは普段の散歩や自由運動ときちっと区分できるものなんでしょうかねぇ? ウチの散歩では、"訓練"に相当することを随時組み込んでいるんですけど...

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他の地方公共団体の"条例"を少し調べてみたところ、兵庫県のこの例外規定はあまり一般的な形ではないことに気付きました。
他の多くの"条例"にも、"訓練"、"競技会"(あるいは単に"運動")のために"オフリード"を認める例外規定があるのですが、前提条件が異なるのです。

一番よく見かけるのは "危害を加えるおそれのない場所(又は方法)で"といった状況に関する文言です。そういった安全を確保できる条件下でなら"オフリード"での"訓練"(や地域によっては"運動"も)を認めている"条例"が多いようです。

が、"危害を加えるおそれのない場所"や"危害を加えるおそれのない方法"というのはどうやって判定するのでしょうか?

この曖昧さがあるがゆえに、ノーリード反対派の方は"あらゆる場所でのノーリードは違法!"と主張するものの、行政側としては行政指導する明確な根拠を欠いていて対応できないというおかしな現象が起こっているように思います。

最初に考察したように、国の法令等には"オフリード"を禁止する規定はありません。一方、"条例"では"オフリード"は"けい留義務"の例外規定の中で処理しなければいけない不自然さに加え、"おそれのない"という便利そうではあるけれど実は諸刃の剣の曖昧さによって実効性の乏しい(判断の難しい)規定になっています。

"危害を加えるおそれのない場所(又は方法)"の捉え方によっては、多くの地方公共団体においては"訓練"だけでなく"運動"のための"オフリード"も合法であると私は考えています。

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本記事で"オフリード"の違法性/適法性についてまとめてしまおうと思っていたのですが、ダラダラと長文になり過ぎてしまいました。
一旦筆を置いて、残りの考察については記事をあらためますね。
posted by Tosh at 23:59| Comment(29) | 雑記帳

2013年03月01日

ドッグランの謎

オフリードの法的解釈の続きです。
このブログを読んでくださっている方の多くは、もう辟易されているかもしれませんね。こんな声が聞こえてきそうです。

なぜこの人はムキになってノーリードのことを書き続けてるんだろう?
行政機関の現場が"ノーリード禁止"って看板を立ててるんだし、犬の飼い主でさえノーリードは迷惑行為だと判断している人が多い。法律の専門家がノーリードは違法だと書いているのも見たことがある。
法律の条文がどうなっていようが、既にノーリード禁止は我が国におけるルールだろう。こんなことを続けて何の得になるんだ?

たしかに私は風車に立ち向かっている愚か者かもしれませんが...
"And maddest of all, to see life as it is and not as it should be!"
 -
Miguel De Cervantes

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ウチの近所では"犬連れ禁止"の公園は見かけたことがありません。が、"犬の放し飼い禁止"の看板があちこちに立てられた公園はあります。
こういった看板を目にする度に、私は陰鬱な気分になると同時に、日本中で見られる別のイメージが浮かんできます。それは、人がよく訪れる公園等の水辺がフェンスで囲まれている風景です。景観を悪くしているのはもちろんですが、ここまで"管理"されなきゃいけないのかと、なんか自分(達)が卑小化されたような気がするのです。

もちろん、池に柵が張り巡らされることによって救われる命はあると思います。小さな子供を持つ親御さんにとっては、行政に安全策を求めたくなる気持ちはわからないではありません。が、そのような目に見える外からの管理策をどれだけ積み重ねれば、事故が撲滅できるというのでしょう?
世界中で最も治安の良い国の一つに挙げられる日本。しかしその一方で危機管理能力の低さが指摘されることも多いと感じます。
西欧流の"自己責任"を重視しなければいけないと安易に主張するつもりはありませんが、上記のような"安全"を行政に求める姿勢は、集団主義の陥穽に堕ちかねない怖さも感じてしまうのです。

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ある獣医さんが、自身のブログで"ノーリードは明らかに法律違反"だと主張し、先の記事でも紹介している"法律"第七条1項 (最後の文が "人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない"という項)を引用して、ご丁寧にも次のように解説しておられます。
犬の放し飼いを迷惑と考える人が存在する時点で犬の飼い主さんはこの法律に違反していることとなります。

敢えて反論する必要すら感じませんが、この獣医さんは"犬の存在そのものが迷惑だ"と言う方に、どう応えられるつもりでしょうかね?

仮にも動物のプロである方がこんないい加減なことを書くべきではないと思いますが、個人攻撃をしたいわけではありませんので、敢えてリンクは貼りません。そんなことをしたら、ノーリード反対派の中のヒステリックな方々と同じ土俵に堕ちてしまいますから。

が、考えてみると、"誰か(一人でも)が迷惑を受けたと主張された時点で罪"という感覚は、多くの日本人がなんとなく持っているものなのかもしれないとも感じます。
聖徳太子の"以和為貴"は、今も脈々と私たちの中に受け継がれているのかもしれませんね。十七条憲法の十に曰わく 彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。自分の考えよりも周りに合わせて行動しろという、私が非常に抵抗を覚える教えです。

行政の現場が苦情を怖れて臭いものに蓋をするような対応をすることも、国民の中に"赤信号、皆で渡れば恐くない"といった行動パターンが見られるのも、根っ子は同じ"事なかれ主義"だと思います。
最近の流行言葉?の"ならぬことはならぬものです"。なんかカッコ良さそうに取り上げられることが多いようですが、なぜ"ならぬ"のかをきちんと自分で考えないかぎり、単に思考停止を起こさせて(権力にとって扱いやすい人間を育てて)いるだけに思えて仕方ありません。やっぱり私はかなり天の邪鬼なんでしょうかね?

言い訳のように聞こえるかもしれませんが、私はこういった日本人の性向を全面的に否定するものではありません。ある意味では誇るべき精神文化だとさえ思っています。
が、それは思いやりや譲り合いといった形で、暖かい社会を作る基盤(マナー等)に活かされるべきであって、法令等といったルールの解釈を恣意的におこなったり、なんでも行政に責任を押し付けるような風潮とは一線を画するべき事柄だと考えます。

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東京周辺では、"ノーリードを繰り返す悪質な飼い主のせいで、公園が次々と犬連れ禁止になった"といった話もネット上では見かけます。そういった"犬連れ禁止"を増やさないために、"常識的な飼い主"の方々が、"オフリード"を取り締まるといった風潮も見受けられますね。

この流れに違和感を覚えて少し調べてみたのですが、明確な法的根拠(条例や規則の規定)をもって"犬連れ禁止"に指定された公園というのはかなり少ないのではないかと思われます。いわゆる公園条例等の条文を拡大解釈して、"犬連れ禁止"の看板が立てられているパターンの方が多いようなのです。
もちろん、中には東京都板橋区の区立公園のように、条例(東京都板橋区立公園条例)でしっかりと禁止されているものもあります。ちなみにその条文は以下のものです。

第5条の2 公園内では、次の各号に掲げる行為をしてはならない。ただし、法第5条第2項、法第6条第1項若しくは第3項若しくは前条第1項若しくは第3項の許可又は次項の規定による解除に係るものについては、この限りでない。
(4) 動物を連れ込み、又は危険な物を持ち込むこと。


動物(犬)は"危険な物"と同列に扱われていますね...
明確な法的根拠をもたない"犬連れ禁止"の看板や、"危険な物"扱いする条例に対しては、改善を求めていく(犬と共生できる社会作りを目指す)のが、本来の飼い主の在り方だと私は考えています。
"お上の言いなり"にはなって、ノーリードをする人を悪者として叩いて憂さを晴らすというのは、何かちょっと違うような気がしてなりません。

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何かの拍子に検索結果の上位に表示されて開いてしまうことのある、各種の掲示板におけるノーリード批判の記事。一時期拾い読みをしたこともありますが、あまりにレベルの低い主張や誹謗中傷に、私は気分が悪くなってしまいました。
そういう場やノーリード撲滅を訴えるブログ等で、"常識的な飼い主"が"ノーリードは違法"である根拠として示しておられるものの中には、いくつか共通するサイトが出てきます。それは、法律の専門家、あるいはそのふりをしている方によって書かれた"法解釈"のページです。

例えば、ある弁護士さんが法律事務所サイトのコラム内で、兵庫県の"条例"第12条を引用して、こんなことを書いておられます。

当地(兵庫県)では,生後90日を越えた犬を連れて屋外を散歩する場合は,かならず鎖等でつないでおかなければならず(「当該飼い犬が人の生命等に害を加えるおそれがないとき」という但書きに該当する場面・状況は基本的に想定できませんので。),いわゆるノーリード状態で犬を連れての散歩は,条例違反ということになります。

兵庫県の条例をきちんと理解されている方(や私の前の記事を読んでくださった奇特な方)は、何がおかしいかすぐにわかりますよね。
"当該飼い犬が人の生命等に害を加えるおそれがないとき"が想定できないのであれば、オンリードでの散歩("鎖でつなぐ等の方法で連れ出す"こと)も条例違反と断じなくてはいけません。

このコラムを読んだ多くの方は、"よくわからないけど、弁護士さんがこうやって説明してくれているんなら、ノーリードは間違いなく違法なんだろう"ということになりかねませんよね?
中学生でもわかるような論理破綻した見解を、弁護士事務所のサイトに掲載されている悪影響の大きさは憂慮すべきものです。

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親切にも?"法解釈"をしておられるサイトが対象としていることが多いのは東京都の"条例"です。念のために、その"条例"(と条例施行規則)の該当する箇所を掲載しておきます。

東京都動物の愛護及び管理に関する条例
第9条 犬の飼い主は、次に掲げる事項を遵守しなければならない。
一 犬を逸走させないため、犬をさく、おりその他囲いの中で、又は人の生命若しくは身体に危害を加えるおそれのない場所において固定した物に綱若しくは鎖で確実につないで、飼養又は保管をすること。ただし、次のイからニまでのいずれかに該当する場合は、この限りでない。
イ 警察犬、盲導犬等をその目的のために使用する場合
ロ 犬を制御できる者が、人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法で犬を訓練する場合
ハ 犬を制御できる者が、犬を綱、鎖等で確実に保持して、移動させ、又は運動させる場合
ニ その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合で、東京都規則(以下「規則」という。)で定めるとき。


東京都動物の愛護及び管理に関する条例施行規則
第3条 条例第9条第1号ニに規定する規則で定めるときは、次の各号に掲げるとおりとする。
一 犬を制御できる者の管理の下で、犬を興行、展示、映画製作、曲芸、競技会、テレビ出演又は写真撮影に使用するとき。
二 犬を制御できる者が犬を調教するとき。


"ペットの関連法規の研究"をしているという方(あるいは方々)が、"動物愛護法"を"できるだけわかりやすく内容を解説"しているというサイトには、先の弁護士に劣らぬような無茶が書かれています。

例えば、東京都の"条例"第9条一項の"ロ"と"ハ"の説明。
"犬を制御できる者"という言葉について、"ロ"では "「訓練士」などを想定"していて 一般の飼い主さん"に対する条項ではないと解説されています。ところが "ハ"の方は "「移動」と「運動」が入りますので、一般の犬の飼い主さんもここに含まれる"とのこと...

いやはや、もう言葉をなくしてしまいます。同じ法的文書で(おまけに同じ条の同じ項で)全く同じに表記された言葉が、文脈によって違う意味を持っているなんていうことを、堂々と"解説"される神経が理解できません。
結論ありきで無理やり読み解こうとされるとこうなるのかな?という悪い見本のような説明です。

ちなみにこのサイトは、他の解説も含めて"トンデモ"のオンパレードです。ひょっとしたらジョークサイトとして作られたのかとも疑うのですが、鵜呑みにされる方もいるようです。情けない限りですが...

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もう一つ、ノーリード反対派の方が "きちんとまとめられている"としてリンクを貼られているのをよく見かけるサイトがあります。

ご自身で"法律家による解説"とも書いておられますし、"法律の基礎を理解していない素人の方は...自己流の法解釈を為されがちですが..."とか "間違いだらけの素人解釈"といった(エラそうな)記述をされているので、専門家なのかなと思いながら読んでみると...

いかにも"法律家"であることを誇示するかのような読み辛い文章。ですが、もっともらしく長々と綴られていても同じ内容の繰り返しで中身はそれほど充実しているとは思えません。
法令等はこう読まなきゃいけないといった解説をありがたがる方もいらっしゃるかもしれませんが、各所に散りばめられた無理解や嘘をきちんと見抜けないと、"洗脳"されてしまうかもしれない酷い代物です。

今後もそのサイトを真に受ける被害者を増やさないために、間違い(あるいは故意の嘘)の一部を指摘しておきます。

"序文"とされたページ内で、"まず動物愛護管理法とは一体、どのような法律なのでしょうか!?"という設問を設けて、"法律"第一条を引用した上で以下のようにまとめておられます。
従ってこの法律は、以下の3点を目的(立法趣旨)として立法化された法律であるということです。
@動物全般への虐待の防止
A動物全般種への愛護事項
B動物の管理に関する事項を定め、動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止すること。

そして、別のページでは"法律"第七条(動物の所有者又は占有者の責務等)のことを、"第1条の立法目的、B(動物の管理に関する事項を定め、動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止すること。)を根拠として規定された条文です。"と解説されています。

"犬に関する法令等"の記事で私も同じ条文を掲載していますので、ぜひ(もう一度)ご覧いただければと思うのですが、素直に読めば第一条で謳われている目的は以下の二つです。
1. 愛護に関する事項 -> 国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する
2. 管理に関する事項 -> 動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止する

だからこそ、"動物の愛護及び管理に関する法律"なわけなのに、なぜ"愛護に関する目的"の方を隠すような嘘を書かれているのでしょう?
なお、第七条1項には、"動物の健康及び安全を保持するように努める"と "人の生命、身体若しくは財産に害を加え、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努める"という "愛護"と"管理"両面での責務が明記されています。
"一般の方"に教えてやるというスタンスなのに、"法律"の目的からして誤った解説をしておられる... この箇所だけをとってみても、まともに"動物愛護管理法"を語れる方でないことは明らかでしょう。

"管理"面を重視して東京都の"条例"第9条一項についても、くどくどと解説をされているのですが、悪質とも取れる印象操作も目に余ります。

以前より悪質な自称愛犬家らしき一般の方が、『動物の愛護及び管理に関する法律』第16条において、「政令で定める動物」(動物の愛護及び管理に関する法律施行令)の中に一般犬が記載されていなければ、「人の生命、身体又は財産に害を加えるおそれがある動物」ではないなどという法律実務上ではあり得ない驚くべき素人解釈を為されていますが、

他の記述からも読み取れるのですが、このサイトを作った方は、いわゆる"特定動物"に犬が含まれていないことが気に入らないようです。
"人の生命、身体又は財産に害を加えるおそれがある動物"はきちんと定義された概念で、そこに犬が含まれていないのは誰の目にも明らかです。興味ある方はぜひ調べてみてください。
"法律実務上ではあり得ない驚くべき素人解釈"といった誹謗中傷を受けるべきはいったいどちらでしょう?

そして、法令等ではどこにも書かれていない"人の生命若しくは身体に危害を加えるおそれのありうる動物"という定義を勝手に作って、犬はそれに相当するという立脚点で東京都の"条例"第9条一項を解説しておられます。
念のために書いておくと、犬を"...危害を加えるおそれのありうる動物"とみなすこと自体は間違ってはいません。条文の行間を読めばそのとおりでしょう。が、1ページの中で6回も(サイト全体では10数回も)"...おそれのありうる動物である犬"といった表現を連発するのは、非常に作為的で、悪意をもったものと感じざるをえません。

で、この方が導き出した結論の中にはこのような文章があります。

一般家庭犬の訓練に関しては、囲まれた私有地などや、その他人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法(第9条一のロ)の条件を満たす以外は、
@社会的妥当性のある社会目的の要請があり、
A人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれがない事が利用者以外の第三者に対しては確保され、利用者相互においては、侵害のおそれが客観的に見てかなり低いであろうと思われるほどの対策がとられている。
などの要件を満たしたノーリード(放し飼い)が許可された施設や場所などの利用以外、犬のノーリード(放し飼い)は認められないという事になります。


"利用者相互においては..."というのはいわゆるドッグランの利用者を想定されているようです。が、"要件"の内容はこの方の頭の中で考えられたもの以外の何物でもありません。"ノーリード(放し飼い)が許可された施設や場所"という言葉も出てきますが、そんな文言は法令等のどこを探しても書いてありません。
東京都の"条例"には "人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所"という記述しかないのに、この方はどこから"許可された施設や場所"というのを引っ張り出してこられたんでしょう?

しつけのよいとか他人に危害を加えるおそれがない犬などという、各犬に対する各個人の所有者しか知りえる事の出来ない主観的な性質などによって例外規定を設けるなどという条例、条文は日本にはどこにも存在していません。

他の部分にはこのような記述もあります。
一つ前の記事で示したように、兵庫県の"条例"には "当該飼い犬が人の生命等に害を加えるおそれがないとき"という条件が明記されていますが...?

数少ないリンク先に "飼い主の資質が改善されない限り、ペットは、地球上からなくすべきもの"という過激なサイトを挙げておられることなども含んで考えると、この方は、かなりの"嫌犬家"ではないかという想像も働いてしまいます。
いずれにせよ、本物の"法律家"なのであれば、まともに法令等を読む能力のない不適格者だと思いますし、"法律家"を騙って恣意的で誤った解釈を広めようとされているなら、非常に悪質なサイトと断じざるをえません。

それなのに、多くのノーリード反対派(犬の飼い主だと思われる方も)が、このサイトを"(許可された場所以外では)ノーリードは禁止されている"根拠としてリンクを貼られていたりするのです。
そういった方々が、本当にこのサイトの記述を理解(納得)した上で紹介しておられるのかは甚だ疑問ですが...

義務教育を終えた方であれば、犬の飼い方に関する法令等はそんなに読むのが苦痛な代物ではありません。なぜ自分自身で法令等も読んで、そして考えてから意見を持とうとされないのでしょう?

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さて、いわゆる"ドッグラン"の法的位置づけについて問題提起をして、(自分で書いていても嫌になるような)くどい記事を終わりにします。

"ノーリードが許可されたドッグラン"といった言葉をあちこちでみかけますね。ノーリード反対派の方のブログ等はもちろん、地方公共団体のサイトにも記載されているものがあります。
では、ドッグランではリードを離して自由に運動させて良いというのは、法令等ではどこに書かれているのでしょうか?

本記事をまとめるにあたって私はかなり調べてみたのですが、納得できる根拠を見つけられていません。
# ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示ください!

あまりにわからないので、複数の行政機関の公設ドッグランを管理しておられる部署に電話での問い合わせをしてみました。担当者の見解は、東京都なら"条例"第9条一項の例外規定によって許可されているとのこと。
ドッグランは "人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所"に相当するということだそうです。

いわゆるドッグランでは、利用者の飼い犬間でトラブルが頻発していることも行政の担当者は認識しておられました。ドッグランにおいて他の飼い犬を噛んで怪我をさせたといった事例はごく当たり前に起きてしまっているわけです。
言うまでもありませんが、別の犬を怪我させたというのは、明らかに"人の財産に対する侵害"とみなされます。現に侵害が発生している場所を "侵害のおそれのない場所"と認定するのはあまりにも無理がないでしょうか?
そんな道理が通るなら、"侵害が起きていない"一般の公園などでは、大手を振って"オフリード"での訓練ができる(例外規定に相当する)はずです。

私は行政担当者がこう言ったという話は、法的にはほとんど意味を持たないと考えていますので(そうでなければ行政を相手取った訴訟なんて不可能ですよね)、これをすんなり受け入れる気はないのですが、たしかに"条例"の他の部分や他の法令等を探してみても、"ドッグランではノーリードが許可されている"条項が見当たらないのです。

にもかかわらず、東京都には公設ドッグランが20ほども存在します。このページの"区立公園等におけるドッグラン設置の基本的考え方"という資料は、東京のドッグラン事情を知る材料にはなりますが、やはりドッグランの法的位置付けについては述べられていません。

この資料中には、"ドッグランを設置することにより、一般の利用との棲み分けが行われ、... 飼い主以外の公園利用者もより快適に利用できるようになります。"という効果が書かれています。また、"犬を連れていない人の入場"を禁止する規約もあるらしいことが記載されています。

つまり公設ドッグランは、池に張り巡らされたフェンスと全く同じ位置付けにおかれているということなのでしょう。一般の方が"危険な物"に近づかないように、"行政は適切な管理をしています"というアピールじゃないかと疑ってしまうのは、私がどうしようもない"ひねくれ者"だからでしょうか?

(法的拘束力をもたない)ガイドラインではありますが、"東京都動物愛護管理推進計画"には "人と動物との調和のとれた共生社会の実現に向けて"という副題が付けられています。先の記事でも説明しましたが、これは国の"基本指針"を受けた重要な文書であり、他の都道府県の"推進計画"の中でも "人と動物が調和し共生する社会"といった目標が掲げられています。

犬連れの方とそうでない方を隔離して"棲み分け"をおこなうのが"共生する社会"とは、私には到底思えないのですが...

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posted by Tosh at 08:44| Comment(9) | 雑記帳

2013年03月21日

ナットの宿題

二年前の今頃、ナットはどんな気持ちでいたのでしょう。あんなにも人間が好きな犬が、元のご家族に突然置き去りにされた時に感じたであろう不安、そしてもちろん、元の飼い主さんのお気持ちを想像すると、今も胸が張り裂けそうになります。

東日本大震災から二年。
津波に押し流された町のガレキはほぼなくなったようですが、一向に進まない復興への道のり。福島の原発事故にいたっては、まだ被災は現在進行形です。長い冬が終わって、少しずつでも春が近づいていることを実感できるといいのですが...

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ナットを亡くしてから、人と犬の関係作りについて私は何をするべきだろうと考え始めました。"絆を結んだ"ナットに対する私の"責任"のありようを探していたと言えるかもしれません。

以前からこんなような世の中になったら良いのにと考えてきたことはありますが、あらためてそれらを整理してみる中で形になったコンセプトは、"大災害等が起こった際に、当たり前のように犬達と一緒に避難生活できる社会"ということでした。

いわゆる同行避難は、阪神淡路大震災の際にクローズアップされ、新潟中越地震等の災害を経て少しずつ日本人の意識の中に浸透しつつあったのかと思います。東京都などでは(獣医師会の働きかけもあって)早い時期から同行避難のルールが作られていたようです。が、福島の原発事故においては、少なくとも一次避難の段階では、それは実現されませんでした。

どうぶつ家族の会の"震災チャリティー大集会"に参加した際に、阿部俊範獣医師から聞いた石巻市の一次避難所の話はとても印象的でした。
震災後数日の避難所でも、ペットと一緒に避難していた部屋には笑顔があったとのこと。極限の状況下においても動物が人の支えになりえるというのは、昨今では肩身の狭い思いを強いられることが多い犬飼いにしてみると、動物は社会の"お荷物"じゃなく、共に生きる社会のメンバなんだと心を強くしたのを思い出します。
正確にはなんと表現されたのか今となっては定かではありませんが、"動物を助けることは人を助けること"といった阿部氏の主張は今も私の心に焼き付いています。

動物に優しい社会というのは、すなわち人に優しい社会に他ならないというのが私の信念になりました。

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ナットの生前から、"もしも同行避難ができていたら..."ということに何度も思いを馳せました。
が、いろいろ考えてみると、ナットの性格(行動パターン)では難しい局面が出てきただろうなと思います。

一ヶ月弱の放浪を経験する中で大きな心的外傷を負っていたようなので、震災前のナットがどんな犬だったかはよくわかりません。
が、(リードが足に絡んだ時の慣れた捌き方から)繋ぎ飼いであったろうこと、(家の中に入れた際の異常な興奮から)庭飼いであったろうことはほぼ間違いないと思っています。ウチに来て1年半経ってもファルコ以外の犬とは積極的に遊ぼうとしなかったことを考えると、他犬との触れ合いも希薄だったのかもしれません。
ひとことで言えば、あまり社会化ができていない犬でした。

人間は全て愛する対象でしたが、犬どうしに関しては、簡単に心を許すことはありませんでした。放浪中のなんらかのトラウマかもしれませんが、他の犬(特に小型犬)の警戒心に敏感で、攻撃的なシグナルを見るや吠えてしまう傾向もなかなか治りませんでした。
不安を感じている際のナットの哭き声はかなり甲高かったので、同行避難ができていたとしても、周りの迷惑を考えて一次避難所から出て行かざるをえなかったんじゃないかと思います。

ウチの周りを散歩している際に出会う犬達の中にも、共同の避難生活をおくれるだろうかと心配になる犬がいます。私がそう危惧する犬の多くは小型犬ですが、飼い主さんの足下から離れずに(いわゆる脚側で)歩いているので躾ができているのかと思いきや、犬を見ても人を見ても吠えまくるような子もいるのです。

自治体で作られている同行避難マニュアルなどでは、クレートトレーニングやトイレトレーニングのことが強調されていることが多いようですが、それ以前に、他の犬や人と仲よくできる犬に育てておかないと、一次避難の時点でもトラブルになるのは間違いないでしょう。

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では、社会化はうまくできているんじゃないかと思えるファルコの場合なら、共同の避難生活に問題はないでしょうか?

私から見るとファルは人畜無害の代表のような犬ですが、通りすがりの方が、"大きな犬は怖いねぇ"と子供や小型犬に話しかけているのを何度も聞かされています。遊んでもらえるかもしれない期待でニコニコしながら脚側停座でおとなしくしているにもかかわらずです!
たかが中型犬のレトリバーでさえこうなんですから、デーンやマウンテンドッグのような大型種など何を言われていることやら...

大惨事の最中においても礼儀正しく他者を思いやる態度を保つ日本人の姿は世界中から賞賛を浴びました。これは誇るべき日本人の美徳だと思います。が、避難生活が長引いて(特に先が見えない不安などの)ストレスがたまってくると、最初は我慢できていたこともままならなくなるのは人間として当然かと思います。
動物が苦手な方(その端的な形としての犬嫌いの方)にしてみると、犬が近くにいること自体がストレッサーでしょうから、中型犬以上はおそらく疎まれることが多くなるのではないかと危惧しています。

実際、石巻市でも二次避難所は動物連れができなかった所が多かったようです。阪神淡路大震災の際にも、最初はペット同行が容認されていたものの、時間が経つにつれさまざまな問題が浮上したと聞いています。
今回の被災地では、動物連れが認められている仮設住宅であっても、実際にはご近所さんとのトラブルでペットを他所に預け(続け)なければいけないケースもあるようです。

同行避難マニュアルを見てみると、"動物嫌いやアレルギーを持つ方に配慮しましょう"と記載されていたりしますが、"動物嫌いの方に配慮"というのはどこまでのことが要求されるのか、私にはよくわかりません。
結局今の日本の現状を考えると、動物を飼っている方とそうでない方を分離するという方法しかないのかもしれませんが、非常事態の中でそれを実現するのはかなり困難でしょうし時間もかかることだと思われます。

中型犬以上を連れての避難生活が普通にできるようにするためには、自分の犬をきちんとしつけしておくだけでは不十分で、犬がそばに居ることに抵抗のある方を減らしていくしかないだろうと私は考えています。

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"当たり前のように犬達と一緒に避難生活できる"ということを考えていく中で、犬側の問題と人側の問題が明らかになってきました。

犬の社会化(健全な成長)と、犬が居ることに人間が慣れていること。今の日本では、この二つの課題は非常に大きな壁だと感じられます。

が、ヨーロッパ諸国においては両方ともクリアされているように見受けられるわけです。もしも大災害が起きた場合でも、犬が社会の中に溶け込んでいる彼の国々では、避難生活もスムーズにいくような気がしてなりません。

東京都などでは、被災時には同行避難するよう呼びかけて(マニュアル化も進んで)いる一方で、犬を危険物と同列に扱ったり、ドッグランに隔離するという政策を進めているように見受けられます。犬を非日常な存在に追いやっておいて、同行避難がうまくいくのでしょうか?

日本とヨーロッパ諸国、いったい何が異なるのでしょうか? そしてその違いは埋められないものなのでしょうか?

先月からのオフリードに関する記事群というのは、こういった流れの中で書き留めておきたいと考えるに至ったものだったのです。

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今回の記事を書きかけてから10日以上が経ってしまいました。
文章をまとめられなかった主な理由は、花粉症(+黄砂)で体調がすぐれなかったのと仕事が少し忙しかったことです。が、大震災からちょうど二年という時期に、今なお仮設住宅で不自由な生活をされている方々がたくさんおられる状況下で、犬と人の共存の話題にばかり熱心なのは不謹慎なんじゃないかと悩んだ側面があったことも事実です。

私は被災地にボランティアに出かけることもしませんでしたし、直接的な復興支援と言えることは何もできていません。ナットと暮らした時間だけが、私にとって大災害を実感させてくれるものです。
ナットが残した宿題に取り組むことは、今回の被災者の方々には何の役にも立たないでしょう。しかし、それを後ろめたいことと思いたくはありません。いつまた起こるかもしれない次の災害時に、何か貢献できるかもしれないと信じて、私は自分が一所懸命になれることに向き合うだけです。
posted by Tosh at 23:59| Comment(2) | 雑記帳